谷川岳(日本百名山)1977b

         
                                           渡邊英(記)

 土合の駅を出て天神ロープウェイへ向かう途中に谷川岳で命を失った人々の霊を慰める大きな石碑がある。昭和12年9月水上町が建立したものである。傍らに亡くなられた方々の名が刻まれた鶴翼の慰霊碑がある。今年もすでに2人の名が刻まれている。すでに800名(?)近い慰霊碑である。遭難者の数としては世界で一番という。谷川岳が魔の山といわれる由縁か。
少し離れたところに谷川岳の登山道を開拓した中島喜代志のリリーフがあり「谷川の雪より喜代志」と刻まれている。今回の登山安全を祈って合掌する。

 午前7時の始発のロープウェイで天神平に上がり、天神尾根からの谷川岳連峰を目指す。

西黒尾根を右手に樹林帯の紅葉を眺めながら登る。裾野の紅葉はまだ楽しめるが高さを増すほどに冬枯れに移ってゆく。ナナカマドの真っ赤な実が寒々と残っている。熊穴沢避難小屋まで約1時間である。ここから勾配がきつくなる。

谷川岳はトマの耳、トキの耳の両峰をいう。そして谷川連峰とは湯檜曽川を囲む山稜と谷川岳から三国峠まで延びる山域の総称をいう。万太郎山、白毛門、平標山、一ノ倉岳、茂倉岳など365度の眺望である。プラス5度はおかしい?それは素晴らしい眺望におまけである。天狗のとまり木を過ぎると、岩をつかみながらの険しいところも出てくる。

肩の小屋に午前9時45分に着く。右手が群馬県、左手が新潟県と谷川の山稜は国境になっている。ガスがかかり新潟方面から風が強い。大きな風見鳥のような分岐が頂上を指し示している。こんなに大きな分岐がガスがかかると全然見えなくなるという。


そこから10分ほどで谷川岳のトマの耳に出る。トマの耳とはどんなことか知らないが沢山のハイカーが道標を囲んで記念写真を撮っている。さらに少し進むと、トキの耳に着く。

そこには谷川岳山頂の標があった。大抵のハイカーはここまでが多いようだ。山頂の群馬県側はそそり立つ絶壁で、一方の新潟方面は笹原の大斜面が広がっている。生憎ガスがかかり山頂の全容が分からない。我々はさらに一ノ倉岳を目指す。ここからはごつごつした岩の道に変わり神経を使うが変化があってよい。有名な一ノ倉沢のそそりたつ断崖絶壁の縁を歩くのであるから嫌が応うにもその絶壁をのぞくことになる。そこが「ノゾキ」というスポットである。この辺りにくると、晴れ間が広がるようになりガスの流れる中にトマやトキの耳が浮かぶ。 
 

我々団塊の世代は一ノ倉沢に魅入られ多くの方が命を落としている。35年前に一ノ倉沢を観光スポットから垂直の壁に取り掛かっている光景を見たことがあるが、今日は真上から覗き込んでいる。ケツの穴がキュッと締まる緊張感が続く。「ノゾキ」の手前に昭和27年に亡くなられた2人の鎮魂のプレートが大きな石にはめ込まれている


一の倉岳はもうすぐであるが、這いつくばるような急登が続く。はあーはあー息を切らして頂上にたどり着く。頂上は断崖絶壁の険しい一の倉沢と打って変わってなだらかな笹の原である。ガスもとれて眺望は絶景。白毛門、笠ヶ岳、朝日岳、遠くに武尊山、至仏山、タウンすると、万太郎山、平標山、荒船山などの山々が視界に飛び込んでくる。
頂上部にはスチールのかまぼこ型の避難小屋がある。雪に埋もれたら使えないくらいの小さな避難小屋である。

 さらに茂倉岳に向かう。なだらかな稜線が続き30分ほどで頂上に着く。


武能岳や大源太山が、そして湯沢の街が望める。稜線を15分ほど下ると今晩の寝屋である茂倉岳避難小屋が現れる。笹原の中の比較的新しく清潔な小屋である。午後2時着。
山の楽しみの一つは食事である。会長が秋田の山で採ってきたブナ茸のきのこ鍋である。大根、にんじん、サトイモ、ねぎ、白菜など具沢山の鍋、ビールで乾杯、そしてウイスキー、秋田から仕入れて米焼酎、うどんで締めた夕飯である。

 午後8時、小用のため外に出ると満天の夜空、お星様が手に取るような近さである。北斗七星がくっきりと浮かび、オリオンが輝き寒空のなか暫し時を忘れる時間帯であった。そこに湯沢の夜景と関越道のネオンの織りなす光のページェントはどんな偉大な絵描きでも表現できない光景であった。

午前3時起床、ラーメンの朝食を摂り5時に小屋を出発する。夕べの星空はどこへやら雲行きが怪しくなっていた。ヘッドランプを頼りに来た道を戻り、武能岳から蓬峠への帰り道に入る。東の空は白々としてきているが、雲が多い。分岐を過ぎるとガスがかかり五里霧中の状況である。ガスがますます濃くなり天候の回復の見込みが立たなくなり蓬峠の分岐で土合へ向かう予定を変更して、土樽方面に切り替えた。急斜面の九十九折の下りには神経を使ったが、中の休み場あたりに来るとダケカンバの樹林帯に変わり、さらにブナ、水楢、樫などの林、遅い紅葉を楽しみながら高度を下げる。東俣出合に午前10時前通過

幾筋もの瀬戸や涸沢を渡り林道に出る。ここからが難行苦行、土樽駅まで延々と歩く。駅に11時45分到着、12時15分の上り電車にかろうじて間に合う。

午前5時に小屋を出て約7時間の道のりであったが、最後の林道歩きが数倍モノ疲労感で下肢が棒のようである。

 土樽の駅は無人駅、駅の目の前がスキー場であったことから沢山のスキー客でにぎわったが、スキー場は廃止になり寂れた風景である。

 上越線には清水トンネル、新清水トンネル、新幹線の大清水トンネルと3本のトンネルがあり、途中で交差している。そのトンネルは今ほど我々が踏破してきた茂倉岳の真下を貫通している。次の土合の駅は下りホームが地下にあり482(?)段の階段を上り下りする。駅の看板には「日本一のもぐら駅」となっている。今は一日数本しか列車が停まらないというが、お客がひっきりなしに駅の中を出入りしている。そのもぐらの階段を見学するためである。私を除いて3人は車を取りに天神ロープウェイの駅に行った。

 山の中で行き会った古老が、湿った空気が入ってきたから午後から雨になるとが言っていたが、車が帰ってきたころには冷たい雨が降ってきた。

 谷川温泉で疲れを取り、松崎さんは水上から電車で帰り、我々は雨の関越道から午後8時前に帰宅する。

 宮本、石川、松崎、渡邊 


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