安達太良山雪中行
渡邊英(記)
1月21日の早朝、安達太良山行に出発する。関東地方の太平洋側に低気圧が接近中である。ちらちら小雪が舞っていたが、ゴーゴーという轍の音を子守唄に何時しか深い眠りに落ちた。目が覚めて周りを見渡すと、いつの間にか安達太良のパーキングエリアである。快晴、無風、道路にも田畑にも雪がなく絶好の登山日和であるが、何となく拍子抜けの感じである。二本松も同じように雪がない。例年なら高速をおりた岳温泉への曲がり角はつるつるのアイスバーンである。しかし、ここも黒々としている。何とも異様に感じるのは時たま訪れる者だけの感性であろうか。岳温泉からスキー場まで同じような風景である。
少子化の影響ばかりではないだろうが、スキー人口が急減している現実をまざまざと見せ付けられた。私たちがスキーを楽しんだ時代には、何処のスキー場も大勢のスキー客でごった返したが、奥岳スキー場は土曜日だというにまばらなお客である。レジャーの多様化と少子化がウインタースポーツを危うくしている。
さて安達太良山雪行の本題に移そう。ゴンドラに乗って五葉松平まで行く。太平洋側は真っ黒な雲が低く垂れ込めている。方や五葉松平から仰ぎ見る安達太良山一帯は雲ひとつなく、風もない。知恵子は「ふるさとには青い空がある」と言っていた。紺碧の果てしない空が目の前に広がっている。
密生している五葉松はほぼ完全に雪に埋没している。例年と比べて積雪は少ないように感じたが、それでも160センチ以上はあるであろう。新雪を踏みしばらく進むと、視界が開け安達太良山の全景がパット目に入ってきた。
誰が名づけたか安達太良山を「乳房山」とも呼ぶ。その山容が形のよいオッパイに似ていることからそのように呼ばれている。今日は絹衣のブラジャーを着けているようで艶めかしい。広がる裾野は白い餅肌の女体のようである。広い銀世界のなかにいる我々は、小人がガリバーの体を這い蹲っている世界に居るようで存在価値が小さいように憶える。
雪の世界を歩くときは、カンジキもしくは山スキーが定番であるが、その定番が完全に覆されようとしている。スキー板を短く、幅広にした形の「スノーシュー」が取って代わろうとしている。我々もその新兵器を使った。雪に沈まない、滑らない。本当に便利である。
安達太良の山腹に山頂に続く踏み跡が数本つけられている。その踏み跡を目印に文明の利器を屈指して高度を上げる。高山は時間が経つと天候が変化することが常であるが、今日のお山はまったくと言うほど動かない。穢れなき雪原を踏み汚すのは恐れ多いと思うほど美しく神秘的である。
11時30分、2時間ばかりの登りつめで山頂に到着する。下から見た絹衣をつけたようなオッパイも間近でみるとごつごつした岩肌に変わりない。乳首に上ると360度のパノラマである。東に雪をまとった蔵王、北に真っ白な鯨のような巨体の飯豊の山が、西に爆裂火口の荒々しさを歌舞伎の白塗りのように真っ白に塗りたくった磐梯が、その遠方に奥会津や越後の山々が、南に那須の連峰がと・・・・見事なまでの展望である。
乳首を摘んでみたが、人肌のぬくもりはなく只の冷たい岩石であった。
この時期、雲もなく風もない安達太良山を思ってみたことはなかったが、今日はその現実の現場にいる。山頂から馬の背、鉄山を一辺として扇面に広がる雪原は女性の胸の谷間のようである。はるか下の峰の辻の道標めがけ雪面を横一列に下る。シャカシャカと雪を切る音、数秒遅れてパタパタと付いてくるスノーシューの音が微妙に絡まりあって合奏しているのが面白い。
一気に下り斜面を仰ぐと、銀色に輝く雪原は大きなキャンパスとなり風のいたずらが見事な絵を描いている。対極にいるギャラリーの我々は豆粒のように小さい存在である。
上り2時間、下り1時間で今夜の宿くろがね小屋に午後1時過ぎ到着する。会長と松崎さんはピッケルの訓練をする。その間、源泉かけ流し湯の温泉につかり登山の疲れを癒し、美味しい酒にありつく。山の楽しみの一つである。今夜はウイスキーに日本酒である。
ウイスキーを相当量減らしたところに会長が帰ってきてウイスキーを飲まれてややご機嫌斜めになった。
1月22日、昨夜から強風が吹き荒れている。今朝も風が吹き雲の量も多い。荒れ模様では何処へも行けないからまっすぐ帰ることにした。
くろがね小屋の温泉は鉄山から湧き出している硫黄泉である。源泉のお湯はまっ黄色で高温である。ここから岳温泉まで木の樋を使って引いている。だから岳温泉は湯揉みされて肌に良いとされている。石垣を組み地中に木の樋を埋めその上に石のふたをしている。まるで万里の長城のようである。これは二本松の文化遺跡だと思う。その導管の上をしばらく歩くと、峰の辻の分岐に出る。ここから安達太良が一望できるのであるが、今日は厚い衣を着て姿を見せない。今年は雪が少ないのか勢至平のつつじが雪の上に姿を見せている。
前回来た時は雪の中を泳ぐという表現がぴったりするほどの大雪であったのだが・・・・
それにしてもスノーシューは快適である。下りやトラバースにやや弱いがアイゼンのように重くもなく、カンジキのように沈むこともなく、格別に良い。
奥岳のスキー場まで2時間の下り愉しい安達太良雪中行である。昨日は快晴無風、今日は打って変わって強風である。これも天の配剤、愉しかった後のちょうとした苦を我々に与えたのだろう。
宮本、塙、石川、松崎、渡邊
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