秋の宮温泉三昧


                                           渡邊英(記)

 仙台から秋田に抜ける仙秋街道(ライン)を最初に足を入れたのは昭和38年の大学3年のゼミの旅行である。真っ赤に色ついた紅葉のときである。道幅の狭いくねくねとした九十九折りの難所であった。今はバイパスが通り鬼首峠もまっすぐなトンネルになり快適なドライブコースとなっている。

「秋の宮温泉郷」何とも響きのいい名前である。栗駒の懐で十二の温泉宿と約50の源泉のある温泉郷である。もちろん源泉かけ流しで各温泉宿はそれぞれ源泉を持っている。

鄙びた山の宿である。

 春の山菜、夏の川遊びや釣り、秋のきのことり、冬のスキーなど四季折々の楽しみがある。山の神様は自然のめぐみを応分に分け与えてくれている。そのひとつの秋のきのことりに秋の宮温泉郷に足を入れた。

宿は「太郎兵衛」。明治初期まで代々関所守をした由緒ある宿である。玄関前には「馬乗り石」が苔むし、時の流れを見守り、樹齢100年を超える延寿(槐)となつめの木がお客を迎えてくれる。建物は見栄えがするとは言えないが中の構えは清潔である。恰幅のよい主人と愛想の良い奥方、色白な娘さんの3人で切り盛りしている家族的な宿である。

料金は6300円、安くて尻込みする客もいるがどうして一流旅館なみの豪華とは言えないが、十分な品揃えである。それよりもおもてなしが格別である。出しゃばらずそれかといって見えないところの気配りはしっかりとしている心豊かな温泉宿である。

 台風崩れの前線の影響で雨にたたられ足止めをくらったが、お陰で温泉宿の暖かいおもてなしと源泉かけ流しの温泉三昧を楽しむことができた。太郎兵衛のある湯の岱集落は、バイパスから一段と下がった役内川の堆積地にあり、奥州街道の道筋である。虎毛山・高松山の懐にいだかれ、山また山の青い山と開けた少しばかりのたんぼが広がる典型的な山間部の風景である。そこに山の恵みがある。私は高松山への登山がメインであるが、他のメンバーはきのこ狩がメインである。

晴れ間を縫って泥湯温泉まで行き高松山を目指したが、天候不順で登山を断念し我々も生憎の雨にも関わらず、いそいそと山に入ることにした。藪こぎ、急斜面の上り下り、熊の恐怖、きのこ狩がこんなにも過酷と思わなかった。正直来年はいいと思うが、きのこの食味に負ければどうなることかわからない。午後は神室山の役内川の源流近くまで入る。

沢にかかる沈下橋を渡りさらに小さな沢を幾度か渡って目的地まで行くが、案内してくれたおじさんは、これから先はきのこが出ていないと手前で打ち切った。栗原さんと税所さんは未練たっぷりで引き換えしたが、そのことは翌日再チャレンジで見事に証明された。

経験豊富な土地勘豊かなおじさんの勝ちであった。しかし、1本の倒木に3人かかりで1時間もかかる大量な「ならたけ」を収穫することが出来て少しは溜飲をさげたかな。

 横掘の今さん宅には大変お世話になった。4世代同居の大家族に日本の家族の原点をみるようだ。これも一重に家族の人柄のよさであろう。思いがけない鮎酒をご馳走になった。

横堀には昭和38年取引先の田原商店に伺ったことがあり、思い出深い土地である。

横堀駅の方に向かい角のところに今でも田原商店はあった。当時は乾物を取り扱っていたが、今はミニストアーである。意を決して「久慈浜の渡助商店ですが」と訪ねると、小柄な主人が「日立のですか」と人懐っこい目をくりくりさせ懐かしそうに会話に応じてきた。

今回横堀に来た理由を話しながら2,3分の立ち話であったが、人の縁の不思議さを感じた今回の旅であった。 

 安倍首相は、懸案の中国・韓国外交改善の外訪中である。その時を狙ったのか北挑戦が核実験を実施したというニュースが飛び込んできた。北朝鮮の瀬戸際外交には何時も辟易しているが、今回ばかりは尋常でない。なりふり構わぬ北朝鮮の今後の行動が心配でもありアメリカの動きも目を離すことが出来なくなった。同盟国としてまたわが国の身近な問題としてわが国がどのように行動するのか国民の責任も重くのしかかった出来事である。

 台風崩れの前線は、発達して太平洋を北上したが各地に大きな被害をもたらした。観測史上例を見ない強風が吹き荒れたそうだ(秋の宮は内陸部で風を受けなかった)。北アルプスは吹雪となり白馬や穂高で遭難が出、神栖では10万トン近い貨物船が座礁、女川では大型秋刀魚船が座礁転覆、下田でも遊漁船が転覆しそれぞれに多くの遭難者を出している。

 きのこ狩でもそうであったが、無理をすると事故になる。ここぞと思うところで撤退する勇気が必要である。天の神様の采配は人間のおごりを戒めているのである。



 栗原、税所、高橋、宮本、渡邊 


トップに戻る    山行記録に戻る