鳥海山(2,236m)・粟ヶ岳(1,292.7m)


                            渡邊英(記)          

鳥海山へは3度目の挑戦である。春の残雪は初めてである。奥山牧場から祓川までの道路は4,5mの高さの雪の大回廊である。  


   雪の下 瑞々しいかな 蕗の薹


春を待ちかねたように蕗の薹がぼんぼりのように道端に芽を出している。
祓川の駐車場に5月3日午前7時30分到着する。まばゆい朝の光線が雪に反射してまぶしい。鳥海の山容は全山真っ白、白黒のコントラストがついていないかのようで平面的に見える。鳥海の春は山頂からの滑降が楽しめる春スキーで有名である。山頂を目指すスキー客がもう既に雪原に出ている。私たちは3日を休養日として祓川の小屋で休むことにした。
酒を喰らい、昼寝をして長い一日を過ごす。快晴微風、絶好の山日和である。午後6時過ぎから西日が鳥海を照らし出すと、徐々に赤みを増して、有名な「焼けの鳥海」の天然色の色着けである。

 4日、午前3時起床。夕べの鍋料理の残りにうどんを入れて朝飯とする。午前5時15分、小屋を出発する。ザラメ状に溶け出した雪も昨夜の冷気で締まり、アイゼンの雪を切る音が金属的である。地元の山岳会の人が「雪は一日30センチ融ける」と言う。

雪原を見ると、融けた雪面が絹衣を羽織ったように薄い膜を作りその膜を通して朝日が差し込んでいる様はクリスタルで美しい。シャカシャカとその雪の膜が壊れる音が聞こえた。

静寂を破るその音が、鳥海の一日の始まりなのかもしれない。

 午前4時45分、東の空がくれない色に染まり始めると見る見るうちに大日輪が上がる。1時間30分ほどで七つ釜避難小屋に着く。小屋には昨晩とまった熊みたいなむつけき男3人がいた。ここから遠くに早池峰、薬師岳、秋田駒ケ岳が望めた。鳥海山は数少ない独立峰のため登山口から頂上まで展望できる優れた山である。七つ釜の小屋から頂上を見上げると、手の届くところにあるが、傾斜は一層増している。アイゼンを履いているが、8本爪のため靴の真ん中が雪をつかみ切れない。何度かひやひやしたが、最後の胸つき八丁を登りきり、七高山(2230m)に到着したのは8時30分であった。日本海が青々とし洋上に飛島が見える。今日は男鹿半島は見えない。

頂上はさすがに風が強かったが、そんなに寒くはなかった。お釜のなかは大量の雪で埋め尽くされ、真向かいの新山(2,236m)が手に取るように近く見える。お釜の縁を下り新山まで往復40分行って来られた。夏は、縁を下るのに4〜50mであるが、今回はその三分の一もない。御室小屋は屋根だけがかろうじて出ているほど雪に埋まり、新山は夏の荒涼たる岩石は雪に埋まり、新山のてっぺんの石の塊が山頂であると存在価値を見せているだけである。

 午前9時45分下山開始。この時間になると斜面に大勢の登山客やスキー客がゴマ粒のように取り付いている。急斜面は登るときも怖いが、下りも怖い。大腿四頭筋が途中で泣き出し、やっとの思いで午前11時45分祓川の小屋に到着する。今年の雪は豪雪である。種まき雪形は何時になるのか、山ろくの田んぼは田植えにはまだ時間がかかりそうであるし、桜も満開のところあれば、まだ蕾のところもあった。

 次は、新潟の粟ヶ岳を目指し勇躍移動する。鳥海の裾野をぐるっと西に回りこんで象潟を目指す。日本海側からの鳥海山は裾野の広がりが大きく一層雄大である。国道7号線をひたすら南下、燕三条から加茂に入り、今夜の宿である粟ヶ岳自然公園キャンプ地についたのは長躯6時間半後の午後7時前である。山菜おこわに味噌汁で夕食を済ませ8時には就寝。午前3時15分起床、テントを撤収しラーメンをかっ込んで、加茂水源地のダムに移動する。ダムの堰堤を横切り粟ヶ岳登山口午前5時15分出発、登山口は標高100mであるが、上り口から急登高である。杉林を過ぎると楢、樫などの潅木帯となる。若葉をつけ柔らかい日差しが差し込んでいる。山アジサイがそしてタムシバが白い花をつけ、ヤシオツツジが咲いている。登山道は整備され標高も50m単位で記しがついている。600m付近から残雪が出てきて融けた水が登山道をぐちゃぐちゃにしている。

716mの大栃平に午前6時45分。1時間半の登高であるが、急登の連続と昨日の疲れからやや疲れ気味である。ここから守門岳が南方に展開している。上方を仰ぐと、急勾配の尾根道がササや潅木帯の中に見え隠れする。頂上はまだまだである。

900mを過ぎると勾配はさらにきつく、梯子や鎖場が断続的に続く、尾根もやせ尾根がいたるところに顔を出し、危険度も高い。8時、砥澤避難小屋(1049m)に到着する。あたり一面大雪田で小屋だけがやっと姿を見せている状態である。きれいな小屋である。水場が離れているのが難点。ここから粟ヶ岳の北峰、中岳、頂上の3つの頂が望める。

雪田は既に崩落や大きく口を開けたクレバスを見せているが、まだ雪の上は歩ける状態で9時30分、粟ヶ岳山頂に立つ。360度の展望、飯豊、磐梯、浅草岳、守門岳、越後白山等の山々がまだ白い姿を見せてくれる。生憎のうす曇で遠景ははっきりしないがそれでも山の醍醐味を味わった。1300m弱の山であるが、標高差は1200ある。昨日の鳥海とほぼ同じである。なかなか手ごわいきつい山であったが、カタクリ、イワウチワ、ショウジョウバカマ、コイワカガミなどの高山植物が登山道をエスコートするかのように咲き乱れて、疲れを和ましてくれた。6月になると、ヒメサユリがこれらに取って代わり登山客を楽しませてくれるという。

 山中の雪田には雪形が浮かび、頂上下が「馬」中岳下が「はと」に見えたが、正しかっただろうか。この雪形を見て土地の人々は「粟の種まき」をしたと言い、ここから「粟ヶ岳」と呼ぶようになった。

 帰りに、加茂の美人の湯で3日間の汗とほこりを流し落とし、道々、北国の生活ぶりを検分し、桜を愛でて帰路に着く。


宮本、石川、渡邊 


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