木賊山(2468b)・甲武信ヶ岳(2475b)

                                           渡邊英(記)

「しまった」。時計をみたら予定の時刻を1時間もオーバーしている。

今日の山行は電車であるからと、念には念を入れて目覚ましをかけたのであるが。押っ取り刀で何とかリーダーの家に駆けつけ事なきを得たが、暑い最中に冷や汗をかいた。
常磐線では信号機の故障により30分の遅れも出て、あずさ3号にぎりぎり飛び乗った。
中央線の特急には、夢の乗り物「超伝導列車」の実験を見学した以来だからかれこれ10年になる。塩山駅に降り立つのは今回初めてである。甲州盆地はたわわに実ったぶどうが山のてっぺんから里まで連なっていて、秋がすぐそこまでやってきている。
 
 塩山駅8;53に到着。9;05のバスで西沢渓谷入り口まで1時間ばかりかかった。
バス停から渓谷沿いに20分ばかり歩くと、甲武信ヶ岳登山口が出てくる。この登山口は近丸新道への入り口である。左手に渓谷のせせらぎを聞きながら歩を進めると、鉱石搬出軌道跡のレールがところどころに現れる。何時ごろに廃棄されたのか真っ黒に錆びている。

見え隠れする軌道跡を辿ってゆくと、最初の沢ヌク沢に出会う。常滑の滝のような景観の良い沢である。裾を巻くようにしばらく進むが雲取山の大ダワのようなのぼりである。
照葉樹から針葉樹に石楠花が混じるように植生が変わりだしたら急勾配の登りになってくる。ただの急なのぼりなら良いのであるが、ここの急坂は木の根を踏み越え、時には膝を抱えあげながらであるから体力的な消耗は甚だしい。シラベやコメツガに背丈ほどの石楠花が密生しており登山道に覆いかぶさっている。谷から吹き渡ってくるさわやかな風に助けられたが、山の静寂ななかに我々だけのゼーゼーという苦しい呼吸の音がひと際大きく聞こえるのみである。石楠花の群生が切れると、ところどころに真っ白な小石が出てくる。硅石採掘跡である。跡と思われる場所には雪のように真っ白な小石が固まって露出している。しばらくすると、二つのコブに出る。ここから戸渡尾根に入る。急坂は更にきつくなり、景観もガラッと変わってシダが茂り苔むした倒木が転がり怪奇的でもあり、幻想的でもある。雷がかなたでゴロゴロと鳴りパラパラと雨も降り出したが、合羽を出すまでもなかった。しかし汗が滝のように流れ最初の汗はショッパかったが、しばらくするとその塩からさもなくなっている。

3;50破不山との分岐に出る。標高差1300の登攀はさすがに応えた。分岐から左手にまっすぐ5分ばかり進むと、平らな木賊山の頂上に出る。シラベとコメツガが群生してあたりは何にも見えない。

分岐から今来た道を見返ると、シラベとコメツガの林にまっすぐな一本道が視界を広げている。


2千5百の高山に、それも頂上にこんな光景に出会うなんて2度と無いと思う。それほどすばらしい風景である。山頂から小屋まではひと下りで4;00に甲武信ヶ岳小屋に着く。6時間の長丁場に小屋の主の差し出す一杯のお茶はありがたかった。

 小屋は昔風の丸太小屋である。木の枝を使った「甲武信小屋」の看板は小屋全体の雰囲気を更に醸し出している。

 夕飯はカレーに肉のサラダ、桃のプリン。夕飯までの間に500円を出して缶ビールを飲む。火照った体内をビールが流れてゆく音が聞こえるようだ。夕飯時に600円の八海山をつける。小屋は梁が剥き出しで雪の重みに耐えられるようにあちこち補強材が使われている。これまで近代的な小屋を利用してきたが、前近代的な文字通りの「山小屋」もいいものだ。

8月25日午前2;30起床。甲武信ヶ岳の頂上を目指す。中天には煌々と天の川が横たわり宝石を散りばめたような星座が輝き、我々のヒソヒソ話を全部聞かれているような手近さである。

 山の小屋 天の川から 流れ星 ☆彡

頂上までは20分ほどの距離である。漆黒の闇の中、天に向かって頂上を示す柱標が大きな台座の上に建てられている。
360度のパノラマであるが闇の中では仕方ない。本来ならば富士山、中央アルプス三山、八ヶ岳などが見えるという。小屋に戻り、破不山を目指し巻き道を通る。真っ暗闇のなか二人のヘッドランプの明かりが頼りである。木賊山の分岐を過ぎると、急な下りにかかる。
針葉樹のなかにまた石楠花の群生が現れる。雨に掘られた道悪な下りをサイノ河原付近まで一気に下りると、東の空が暁に変わった。
笹平に避難小屋があり、小休止。

ここから100bばかりの登り返しになる。露出した石を乗り越えながら高度を上げるとツツジと石楠花の混在した植生となり、ところどころに遅咲きのツツジが咲いていた。頂上手前は眺望がよく来し方の登山道を振り返ることも出来るほどである。午前6時8分 西破不山に到着。頂上は針葉樹に囲まれ眺望は悪い。針葉樹が密生して倒木も多い。
東破不山から雁坂嶺まで緩やかなくだりや登りを繰り返す。酸性雨に打たれたのか枯れ立ち木が林立して異様な光景が続く。雁坂嶺から石楠花林を20分ほど下ると、日本三大峠といわれる「雁坂峠」に出会う。三伏峠(南アルプス)針の木峠(北アルプス)が三大峠である。日本武尊命は蝦夷平定に通った日本最古の峠とも言われ、武田信玄の軍用道路としても使われ、近代になってからは秩父と塩山との絹の道としても使われているという。

峠からは幾多の道は分かれているが、広瀬への道を下る。九十九折の急坂を一気に下りクッキリ沢を横切り河原歩きへ出る。クッキリ沢でのカッパの皿への水浴びは、疲れて集中力が散漫になっていた神経をキリリと引き締め目が覚めたような気分である。植生もイタヤカエデやナラ、カシの林に変わって明るい日差しも差し込んでいる。楓のプロペラが至る所に飛び散っていた。また、トリカブトが紫の花をつけている。

笛吹川の源流に近い河原を1時間半ばかり歩くとコンクリートの林道に出る。堅いコンクリートの返りを靴底に受けて更に下ると村営のつり堀に出る。戸渡沢橋を渡ると「みとみ」の道の駅に出る。正午である。かれこれ8時時間の長丁場。つま先から頭のてっぺんまで疲れ充満しているが、新たな山に挑戦できた満足感も一杯である。

 

                                   宮本、渡邊


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