宮本記
■山 名:飯豊連峰
■参 加 者:宮本、黒羽、上田
■コース :天狗平登山口―石転び雪渓―カイラギ小屋―御西岳―大日岳―飯豊本山
―本山小屋―ダイグラ尾根―天狗平ロッジ
7月25日(水)
■出発
水戸市出発(21:00)、常陸太田市にて参加者をピックアップして東北道/矢吹IC―郡山JCT
-福島飯坂IC-米沢市―小国町―赤芝峡を経て飯豊山荘前駐車場「天狗平登山口」(3:30)
頃到着、仮眠
7月26日(木)
■天狗平登山口〔飯豊山荘前〕(5:30出発)
参加者3名(宮本、黒羽、上田)は食糧・共同装備を分担し、個人装備をチェックする。とくに、
“石転び雪渓コース”を選択しているためにアイゼン、ピッケルを持参した。また最終日の“ダ
イグラ尾根コース”下山の水不足を懸念して、各自「3リットル」の容器を装備品に入れた。共
同装備には3日分の食糧・酒、大型コッフェル、ストーブに加えて、万一に備えた“ツエルト”も
ザックに忍ばせてある。もちろん、夏の山に欠かせない“うちわ”、“サングラス”、“日焼け止め
クリーム”などは個人装備としてザックに入っている。
林道ゲート手前の「登山指導小屋」に立ち寄り、『登山届』を提出してからの出発である。仲間
が持参した家庭菜園栽培の「トマト」をかじりながら林道を進む。はじめに“丸森尾根コース”そ
して“梶川尾根コース”の登山口を通過して温身平へ向かう。
■温身平(6:10)
ここで最終日に利用する“ダイグラ尾根”への林道を左に分けて、堰堤方向へ直角に曲が
り“石転び雪渓コース”方面へ入る。ここまでの林道沿いにはブナなどが生い茂り、一般観光
客向けの散策コースに設定されている。樹種などの説明板などが整備され、20数年来利用
する道も年々観光地化されつつあるようだ。もっとも、我々登山者のみが占有するわけには
いかないだろうし、すべての入山者のモラル向上に期待したいところだ。
■砂防ダム堰堤(6:25)
砂防ダム堰堤からほとばしる石転びの水の流れ落ちる様子を見上げるたびに、「あー、飯豊
に来たナー!」と実感する。「これが飯豊連峰登山の序章だ」と・・・・・。
堰堤に上がると、そこには既に枡に一杯に詰まった米のように、砂利ですべてが覆いつくされ
ていた。飯豊連峰に最初に足を踏み入れた頃(20年以上前)には、かつての上高地の大正
池のように樹木が水の中に生育していたし、枯れ木も立っていて、凄くたくさんのトンボが飛翔
していたのを思い出す。国土交通省(旧建設省)はどのように考えているか知らないが、どこ
の砂防ダムも満杯状態で、現在では意味をなしていないのではないかと思われる。
■石転び沢出合(9:35)
いつも思うのだが、堰堤を過ぎてから出合までの記憶が薄いのだ。樹林帯をもくもくと歩き、い
くつもの小さな沢を越し、さらに最近は出合近くで沢沿いの登山道が巻き道に付け替えられて
いるせいで周囲を眺める余裕が薄れているせいかもしれない。もっとも、来年は“赤いチャン
チャンコ”だもの・・・・・・・、余裕なんてあるわけないよネ。
しかし、この間の歩きもけっして嫌いなわけではない。ブナの倒木があり、小さな沢を越す際
には水も飲める。また、出合近くになれば、例年なら雪渓が現れて、いよいよ石転び雪渓が近
いと思うし、また少し進むと“大雪渓”が視野に入ってくる。
もっとも、このあたりで“脚の痙攣”が出始めるのが常であるが・・・・・・・・。今年は、パーテー
の足並みが揃い、痙攣は起きてこなかった。黒羽、上田の両名が私(爺)の脚にに合わせて
歩いてくれているからだろう。
■石転び雪渓
石転び沢出合(入門内沢出合)の雪渓が全く無い状態であった。「さあー雪渓へはいるゾ
ー!」と一息入れる出合の手前には、いつもある雪渓がなく、草を掻き分けて入る状態であっ
た。
まず第一の沢である“入門内沢を渡渉”しなければならず、なんとか靴を履いたまま石跳びが
可能かと、3人で大小の石を流れに放り込むこと30分、流れが速くて“苦労の石”は流れの藻
屑になってしまうばかりだった。 仲間は、もう最後の手段とばかりに“裸足”になり、“ズボン
を脱いでパンツ一枚”になり、ストックを流れの上流に刺しながら門内沢対岸へ懸命の渡渉を
敢行した。
次に“第二の沢”である「石転び沢」を越えならない。行く手は大岩と急流に阻まれており、対
岸の夏道へ再度の渡渉を覚悟した。一体どこを渡ればよいのか、「またパンツになるのか」も
う“うんざり”だった。渡渉箇所を探して逡巡したあげく、飛び石伝いに対岸の雪渓が残ってい
る箇所へ、どうにか渡ることができた。
■雪渓末端〔アイゼン装着〕(11:40)
入門内沢と石転び沢の二つの沢を渡渉して、やっとのことで雪渓末端から雪渓上に這い上が
った。ピッケルを雪渓に突き刺し、滑り落ちないように苦労しながら硬い雪渓に上がった。
いつものように左側の岩があるところでアイゼンを装着して、いよいよ石転びの大雪渓の登攀
にかかる。3人ともそれぞれアイゼンを装着して、水を飲み、行動食を口に放り込んでピッケ
ルを握って登行開始だ。 雪渓の登行を開始してまもなく、黒羽さんが「水」を汲みたいとい
う。「雪渓両端の岩壁のあたりなら汲めるかもしれない」ということで、音のする方へ進んで行く
が、シュルンドに落ちそうで流れまでは行き着けず、さらに上部を探すこととした。
今年の石転びの雪渓(出合は少ない)は例年に大きく変わっているようには見えず、例年同様
の雪の量であった。ただし、雪渓の左右からは例年になく、水の流れの音が大きく聞こえ、雪
渓下部の流れが大きくなっているようであった。危険防止のために、雪渓の両端を極力避け
て歩くことと、このあとの水とりの際にも十分注意することにした。
■本石転び沢通過(13:10)
雪渓登行中、周囲はガスで何も見えず、「もう大分登ったナー!」と話ながら、左側に別な雪
渓が伸びている箇所を通り過ぎ、なおも登行していったが、「おい、いまの左側の雪渓がル
ートじゃねーか!」との声がかかり、地図を眺めるも、周囲のガスでよくわからない。「じゃー、
一度降りて確認しよう」と、3人全員が、もう一度少し下山して左側の雪渓下部から見上げて
みると、やはり違う雪渓で、「本石転び雪渓」であった。一度下ったところを再度上り返す苦労
を重ねなければならなかったが、やはり、自分の目と読図で確認しなければ簡単に判断はで
きない。
またまた、皆で黙々と登行を続けると、やや左手にカーブする箇所に着いた。この辺から、
時々ガスが晴れて遠くの尾根が視認できるようになり、各自が写真を撮影したりして楽しん
だ。上部に目をやると「中ノ島」が見え、右側の岩壁基部と左側の中ノ島上陸地点に黄色い三
角旗が目印に立ててあった。これなら誰でも迷わずに上陸できる。
■中ノ島上陸(15:00)
中ノ島は例年同様すっかり雪は消えて、花々がとても素敵で、名実共に「百花繚乱」だった。
ただし、島への登り口付近では落石を起こす危険があり、いつものように、慎重に島に上陸す
るよう皆に注意した。雪渓の登りで疲れた身にはきつい中ノ島の通過だが、上陸したら安定
した場所で、すぐにアイゼンをはずして、歩きやすい状態にするのがミソだ。 中ノ島上部の
岩場と小滝が現れ、花々もさらに美しく眺められた。小屋の直下には、まだ雪渓が残ってお
り、鞍部で再度アイゼンを装着してカイラギ小屋まで30~40メートル程度を登行する。ここは
面倒がらずにアイゼンをつけて、固く締まった雪渓は春のやわらかい雪と異なり、「氷」の上を
歩くのと同じような感じである。
■カイラギ(梅花皮)小屋着〔泊り〕(16:30)
さすがタフが売り物の黒羽さんも小屋の直下ではバテバテとなり(皆も同じだが)、最後の雪渓
を一歩一歩登り、周囲が草付で砂利がむき出しの最後の詰めを、息を切らして登ってくる。山
小屋の入口付近には、すでに到着した登山者が携帯電話でなにやら話していたり、のんびり
と休んでいる。山小屋到着をビデオに収録して、管理人さんへ宿泊申込みをした。既に山小
屋にはたくさんの登山者が入り、食事を済ませて寛いでいる人たちもいる。どうも混んでいる
のはツアー客がたくさん宿泊しているからのようだ。もっとも、ツアーリーダーの統率がよいの
か騒いだり、大酒を喰らっている人は一人もいない。
管理人さんに「ほかに“石転び雪渓”を登ってくるパーテーはいたか?」と聞かれ、下部で1組
いた旨話すと、2階の部屋(全部で1部屋だが・・・)に私たちとあとからくるパーテー用に場所
を空けてくれた。結局、そのパーテーは来ずにその場所まで私たちが使用でき、少し広めに
利用できた。夕食を作りながら持参の酒をチビチビと飲み、今日の行程を振り返り、明日の注
意事項などを話し合った。そのうち、疲れもでてきて自然流会となり、各自寝袋に入った。
7月27日(金)
■カイラギ(梅花皮)小屋(起床3:00、朝食3:40~、日の出4:35)
午前3時に起床して朝食の準備をする。ラーメンと餅が主体の朝食を食べている間に日の出
時刻が迫り、爺は途中にしてビデオを首にぶら下げて外にでる。山小屋から北股岳の間は、
登山道わきがお花畑である。ご来光を気にしながら花々を撮影する。日が昇っても、朝の斜
光は弱く赤系の色がついてしまう。当然、この光が遠くの峰々を照らして“モルゲンロート”に
輝くけけである。
山小屋に戻って食べかけの朝飯(ラーメン)を掻きこんでいると、ツアーの一団が梅花皮(カイ
ラギ)岳目指して一列になって登行しているところだ。シャッターチャンスとばかりに小屋の2階
の窓から撮影する。ほんの数秒間であるがなかなかよい映像がとれた。
いつものように、起床は一番であるが、出発がビリになってしまった。今日は御西岳を経由し
て飯豊本山(余裕あれば「大日岳」往復)そして本山小屋泊りであるから、あまり慌てることは
ない。
■カイラギ小屋出発(5:45)
小屋を出発して水場を右に分け、梅花皮岳の急登にかかる。登山道沿いの草はまだ夜露に
濡れており、触るとズボンが濡れてしまう。エーデルワイスなどの花を愛でながら歩を進める。
■梅花皮岳(6:20)
途中、カイラギ小屋を俯瞰して望み、目を上部に転ずれば北股岳がスックと聳えている。朝の
弱い光に映える峰々や周囲の草や点在する花々がやや黄色味かかり、まるで黄金の庭であ
る。
■烏帽子岳(7:05)
梅花皮岳を通過しして45分、烏帽子岳である。このあたりから、今年は、麓(下部)の雪は少
ないが、尾根上の雪が現れる。雪は例年以上に残っており、御西岳までの間でも2-3箇所、
アイゼン、ストック(ピッケル)があったほうが良い箇所があった。私たちも、面倒がらずにアイ
ゼンを装着して通過した。
■御手洗ノ池(8:55)
小さいながらも通過点として目印となる池である。池の端にはシラネアオイの花がいくつか咲
いている。また、雪の残った登山道では、上部の雪が多かったため、7月26日-28日では、
まだ雪解け後に咲く「春の花々」が百花繚乱です。例年なら、すでにこれらの花は終わり、「夏
の花々」の境になる季節です。今年は例外の幸運に恵まれた。
■天狗ノ庭(9:25)
かつて小さな池溏が点在し、高山植物やコケなどが繁茂しており、それこそ天狗たちが遊ん
だ素敵な広場があった。登山者の踏みつけによる表土流出により泥炭層が失われてしまい、
深い溝が数多くできてしまい昔日の面影はない。現在、地元山岳会等のボランティアによる修
復工事が進められている。いつか、昔の面影が回復されることを祈るばかりだ。
ここで黒羽、上田の両名は「大日岳」を踏むべく先行出発した。爺は腹の具合が思わしくない
ため、大日岳をあきらめ、別行動することとした。
■御西小屋(11:20-11:45)
爺は御西小屋に到着してトイレを使用し、ビールを購入した。とても冷たくて、贅沢の極みであ
った。小屋わきには大日岳ピストンのツアー客の置いていったザックが整然と並べられてあっ
た。小屋の入口そばには黒羽、上田両名の見慣れたザックがデポしてあった。ツアー登山者
のうち4-5人は留守部隊らしく食べたり、飲んだりしながら、ゆっくりとした時間を過してい
た。御西小屋の水場である真下の雪渓には、水汲みに行った人が遥か下の方からゆっくりゆ
っくり登り返していた。今年は山頂部の雪が多く、かなり雪渓末端まで降りないと水は汲めな
いようだ。ピッケルでも持参しないとチョッピリ危ないのではないだろうか。
■御西岳(12:00)
ガイドブックにも書いてあるが、御西岳山頂はどこかわからないような、なだらかな部分であ
る。御西小屋からの登山道わきには、この山行のハイライトである“お花畑”があり、とくに今
年は麓の雪は少ないが、頂上部の降雪が遅くまであったために夏の訪れが遅れ、普段ならも
う終了しているはずの「春の高山植物」がまだ咲き乱れている。また、夏の花も咲き始め、春
夏混在した花々を観賞することができた。チングルマもハクサンイチゲもまだ咲いており、群
生地を見つけては登山道に座り込んでビデオ撮影に傾注した。小さな池溏もいくつか見られ、
どこまでも青く澄んだ飯豊連峰の空を映し出している。
5月に川入登山口より入山し、三国岳(三国小屋宿泊)-切合小屋宿泊―飯豊本山山行の折
に、松崎隊員が単身で本山山頂から御西小屋間を往復した。今回の夏道を進むが結構遠く
感じられる。この道を松崎さんは往復したうえ、切合小屋へほとんど同時に帰ってきたほどの
凄い馬力である。この道を歩みながら考えた。やはり雪があったほうが歩きやすいし、尾根上
を直線で歩けるから楽だナー!と・・・・・・。(松崎さんの馬力を抜いて考えている)
途中、玄山道分岐付近に雪渓が残っており、ウィスキーの水割り用に雪をとりに降りていっ
た。旨い酒を飲むための労力はけっして惜しまないのが爺のモットーであるから・・・・。
■飯豊山山頂(14:00)
これは爺が一人で歩いた部分なので、大日岳ピストンの二人はもう少し後になる。天高く、見
晴るかす飯豊連峰の峰々を眺望し、明日下山するダイグラ尾根を目で追ってみる。大丈夫か
ナー!今日のメンバー(3人)なら大丈夫だろう。
来し方を見やると、ツアー登山の大勢のメンバーが一列になって迫ってくる。山小屋が混みあ
わないうちに場所をとろうと、急ぎ飯豊本山小屋へ向かう。
■飯豊本山小屋(着、夕食16:30~)
山小屋の手前で岩にへばりついて咲く花々をビデオに収め、小屋に荷物を置いて水場へ行
く。(到着時間をみていない)水場はテント場の先で結構遠い。幾度か来ているがこんなに遠
かったろうか。涸れることはないが、細い水が地中から流れだしていたと思う。だいぶガレた
岩の間を降りていくと、先客が水汲みと体拭きをしていた。順番待ちをして持参した大きなポリ
タンク一杯に水を汲んだ。この頃にはツアー客の一行が水汲みに来て、順番待ちの列は長く
なっていた。この水場には昔の思いでがある。山を始めた頃、会社の同僚たちと同じコース
(石転び~ダイグラ)の最終日、この水場にトマトの入ったコッフェルを置いていた。その上で
全身を拭いたタオルを洗い始めた仲間がいた。その場で叱ったが不衛生極まりない。大腸菌
でも混入したら大変なことになる。みなさんも、山に入ったら衛生には十分気をつけるようアド
バイスしたい。
寝る場所を確保しておき、水割りなどを飲んでいるうちに大日岳踏破の両人が山小屋に到着
して大宴会となった。明日のダイグラ尾根下山の難易度を考えて、夕食後すぐに就寝した。
7月28日(土)
■飯豊本山小屋(起床3:30、朝食4:00~、日の出4:35)出発5:30
今日も起床は早かったが、出発は遅くなってしまった。
■飯豊山山頂5:45
本山小屋から飯豊本山まで戻り、山頂から右手下に見えるのがダイグラ尾根である。
■ダイグラ尾根下山開始
山頂滞在も数分間にとどめ、早速下山開始する。本山山頂から少しの間はほとんど樹木がな
く、コケの類と石畳のようなところを進む。次第に石が大きくなり岩の間を縫って歩いたり、岩
の上を渡っていったりする。さらに進むと、低潅木帯に突入して若干歩きにくくなってくる。
今日は1日かけての下山であるから心してかかろうということになった。途中の模様は以下の
とおりである。
■ダイグラ尾根(下山の模様)
過去20年前と18年ほど前に2回、ダイグラ尾根を下山した。今年は、「還暦祝い」のダイグラ
尾根下山である。27日にダイグラを登ってきた登山者から情報を聞くと、倒木が多く難儀した
という(倒木はあるが大した数はなく、むしろ、好ましい程度)。かなり厳しい下山を予測して、
当日(28日)を迎えた。懐かしい「飯豊本山」直下の登山道を進む。昔2度歩いたときよりも、
なぜか、スムーズに歩けそうな感じがした。
■宝珠山の肩(8:35)
途中、ザレた箇所も現れたが、藪を抜けるなどして難を逃れた。
■休場ノ峰(11:45)
千本峰を過ぎ、「休場の峰」(標識がないので三角点が横になっている)と思しきところから、
下部は、グングン下る一方の登山道にメンバーがギブアップ、ヨロヨロと下山する始末。
■桧山沢吊り橋〔落合〕(14:45)
落合の吊橋でほっとして、温身平まであと40分。
■温身平(15:15)
そして、宿泊した天狗平山荘まで、さらに30分。
■天狗平ロッジ(泊り)15:35
飯豊本山から9時間もかけて「爺の還暦祝」は終了した。天狗平ロッジでは管理する小国山岳
会のみなさん、そして、同宿者の小中学校、秋田県の方々、単独行の方などみなさん気さく
で、楽しいひと時を過せました。感謝申し上げます。
<飯豊連峰山行(記録タイム)>
7月26日(木)
天狗平(飯豊山荘前)5:30
温身平6:10
砂防ダム堰堤6:25
石転び沢出合9:35
(2つの沢を渡渉)
雪渓末端(アイゼン装着)11:40
本石転び沢通過13:10
中ノ島上陸15:00
梅花皮小屋着(泊り)16:30
7月27日(金)
梅花皮小屋(起床3:00、朝食3:40~、日の出4:35)出発5:45
梅花皮岳6:20
烏帽子岳7:05
御手洗ノ池8:55
天狗ノ庭9:25
(大日岳登頂組2名先行出発)
御西小屋11:20-11:45
御西岳12:00
飯豊山山頂14:00
飯豊本山小屋(着、夕食16:30~)
7月28日(土)
飯豊本山小屋(起床3:30、朝食4:00~、日の出4:35)出発5:30
飯豊山山頂5:45
(ダイグラ尾根下山開始)
宝珠山の肩8:35
休場ノ峰11:45
桧山沢吊り橋14:45
温身平15:15
天狗平ロッジ(泊り)15:35
7月29日(日)
天狗平ロッジー小国ー米沢―水戸帰着
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