梁山泊倶楽部宮本(記)
山歩きを始めて20余年、残雪期の「巻機山」には登行意欲をそそられていた。しかし、登山者の増加による土砂流出など登山のモラルが叫ばれていたため、つい行きそびれていた。
いつしか覚えた“春山の残雪の山歩き”も齢を重ねるごとにのめりこんできた。この季節(10月〜11月初旬)の山々は標高にもよるが、“登山口の緑”、“山中の紅葉”、“山頂付近の冠雪”と三段染めの景観を鑑賞でき、「登山者冥利に尽きる」ことができる。
今回の「巻機山」も、当初の天気予報では北日本を中心に大陸の低気圧が張り出して、雨天または曇天の空模様であった。しかし、“天は我を見捨てず”、ときには亜熱帯のような陽射し、ときには寒風が吹きすさび、ときには頂上一体が霧に包まれるなど、素晴らしい頂上漫歩となった。
11月1日(土)
梁山泊倶楽部の本拠地である水戸市を夜8時に出発した。国道50号線を西進して下館、小山を抜け、群馬県太田で北関東道に入り関越道の前橋ICで下車。かねてより打ち合わせの当会のプリンス「若」をJR新前橋駅で拾い、再び関越道に乗り六日町ICで一般道へ。六日町の街中を通り、清水集落で、1日3本のみ運行の清水バス停から山道へ入った。道迷いをして戻ったりして、桜坂駐車場登山口に11月2日午前1時30分頃到着した。「ワカ」と「ウエU」の2名はテントにて仮眠し、「ジイ」「トノ」「ウエサマ」の3名は酒を飲んでから車中仮眠をした。
11月2日(日)
駐車場にて仮眠、爺の目覚まし携帯「鳩時計」メロディーにて起床した。爺が車中でもぞもぞしていると、車外のテント組も起き出したとみえ、ヘッドランプの灯が燈って出発準備を開始した。飲みすぎの車中組は叩き起こされるまで目覚めることはなかった。起床後は渋々準備に取り掛かり、たくさんの共同装備(その殆どが「鍋」の材料)を“ワカ”“トノ”“ウエU”を中心に分担してパッキングした。
桜坂登山口登山口(駐車場)末端の登山者BOXに「届」を投函して出発。(5:50)
5人は最近登った山の情報交換をしながら林道を歩んでいった。道には次第に大きさの異なる石が敷かれており、昔から整備を繰り返されてきたようである。
その昔より登拝の対象になっていたかは知らないが、春は麓の新緑と薫風登山、山頂部は残雪期のルンルン登山。夏は越後特有の熱射に炙られ大汗登山。秋は(今回のように)三段染めの緑、紅葉、冠雪のフルコースを楽しむ登山。そして冬、その道の達人のみに味わえる厳しい季節に入り、木々は十メートルを越える深雪に埋まり長い眠りに入る。
四合目に到着したが、まだまだ遥かに遠い尾根を見上げる。標高が低いために、周囲は潅木に覆われており、木の間越しに周囲の山なみが望める程度だ。急登が続くため、確実に高度を稼いでいることがわかる。
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午前7時、周囲の山々に朝日が射し、それらの山の側面がモルゲンロートに染まってきた。豪雪地帯であることから、春の雪崩により山肌が削り、磨かれて岩盤が露出している山壁が多く、朝日の斜光が岩を照らし、ピンク色に染まってゆく様を観賞できる岳人は最高に幸せである。手前の山が遠くの山に黒々とした影を染め、その頂稜部にはプリズムの最初の色「赤」を照射している。若が周囲をビデオ撮影し、傍らの吾らは感嘆の声をあげるばかりである。
7時20−35分、五合目(焼松)展望台。眼前の山に深い折り目を刻む「ヌクビ沢」が足下から大蛇のように、雪を冠した割引岳と巻機山の頂稜部へと這い上る。左手には割引沢とヌクビ沢の守り本尊ともいえる「天狗岩」がどっしりと、腰を構えて屹立する。首を180度ぐるりと回すと、背後には谷川連峰が聳えている。尖って、際立って見えるのが「大源太山」であろうか。一度はチャレンジしたい山の一つである。この風景に見とれて15分ほど休んだ。
7時50分、ブナ(白ブナ)の林が現れ、あまりにも綺麗に手入れされており、“自然林をこんなにしてしてもいいのかナー”と思った。
8時20−30分、六合目展望台。眼前の天狗岩の頂稜が目の高さくらいまで登った。視界はますます開け、割引岳山頂部の冠雪は白さを増し、登行意欲が沸々と湧き上がり、武者震いさえ覚える。
9時15−25分、七合目にて小休止、水と行動食摂取。
9時52分、七合五勺。雪が現れてからしばらく経過。根曲竹(笹)を縫って登る箇所には深さ5〜10cmほどの雪が積もり、滑りそうで非常に歩きにくい。この雪が溶けて、夜に凍りだしたら、明日の下山時の通過は苦労するナー!と思った。皆に準備させたアイゼンは邪魔になるし、大した雪にはならないだろうと、爺(会長)の予測がオオハズレして車中に残置してきてしまった。(もっとも、帰りにはこの辺の雪は完全に溶けて、アイゼンなど必要なかった・・・・。)
10時10分、八合目通過。一面、雪原と化した尾根を登る。登山者の踏みつけによる登山道流出により、山肌が痛々しく削られつつあり、間伐材で階段をつくり、雨水を流すための工事などが行われている。
10時30−36分、前巻機山(ニセ巻機山=九合目)。巻機山避難小屋や山頂は目前である。目指す巻機山は右手に見える台形状の峰であろう。どこが山頂か見極められないが、目の前の峰が山頂であることを視認した。目指す避難小屋が目前であると判断し、冠雪した峰々を眺めながら行動食を口にした。
11時00分、巻機山避難小屋へは、ニセ巻機山から巻機山の鞍部へ向けて下っていく。大きく円を描くように二つの登山道が分かれているが、どちらを進んでも結局合流する。木道の階段の上に雪が載っており、滑らないように気をつけて歩かねばならなかった。
避難小屋が見えてくるが、先行した登山者たちが山小屋に入らずに休憩している。なぜだろうと思いながら山小屋に到着して、登山者に聞くと、「雪囲いのために中に入れない」という。私たちも山小屋の裏側に廻って、窓の板囲いを外したが、鍵がかかっていて入れない。
そうこうするうちに入口側の当会メンバーから「入口が開いたゾー」という声が挙がった。どうということはない、入口扉の板囲いを外してみなかったために、入れないと思い込んでいたようだ。入口扉と窓の2ヵ所の板囲いを外すと山小屋の中は明るくなり、真新しい板張りの内部が“御殿のように眩しく”私たちを歓迎してくれた。
早速、1階に“今宵の宴の陣”を張って、鍋料理用の相当量の材料を広げて準備した。2階にも上がってみたが、1階よりも広く快適そうではあるが、雪囲いの板のために室内が真っ暗であることから、やはり1階を宴会場兼寝場所とした。
11時10分、今宵の炊事用と酔い覚め用の水を汲みに行かねばならない。梁山泊倶楽部の若手精鋭である「ワカ」、「トノ」、「ウエU」の3名が突撃部隊として、山小屋前の沢へ積雪の中を降りていった。その簡「爺」と「ウエサマ」は、すごく寒い山小屋内でストレッチをしたり、鍋の材料を準備したりして水汲み部隊の帰りを待った。
11時40分、いよいよ巻機山を攻略すべくスパッツを着けて出発した。山小屋を出てすぐの積雪の登山道わきに池塘と思われる氷の張った水溜りがあった。新緑や紅葉の時期にはさぞかし美しいであろうと感じた。歩き始めて間もなく爺の脚に痙攣が走り、歩けなくなってしまった。山小屋でスパッツを着ける際に、脚が攣ってしまったのだ。仲間の4人を先に行かせて、爺は脚をマッサージしてから皆を追いかけた。
12時05分、仲間は見上げる尾根付近まで登ってしまっていたが、途中で私を待っていてくれた。尾根に上がるとすぐに巻機山の標柱があった。
日本百名山の巻機山山頂には他の登山者がすでに休憩しており、私たちも記念写真を撮り、眺望を楽しんだ。周囲は次第に霧に包まれ、冷たい風がひゅーひゅーと吹き始めた。地図を広げると、どうもここが三角点のある頂上とは違うようである。もう少し先が本当の頂上(御機屋)ではないかという意見が一致して、5人全員で積雪の木道を先に進むことにした。
12時35分、本当の巻機山の山頂は見つからず、朝日岳分岐(谷川連峰への縦走路)まで歩いた。
ここで、この先の牛ケ岳山頂はどこだろうか、と皆で遠くの尾根を眺め、結局、「ワカ」と「ウエU」の2名はこのまま進んでいった。残った「トノ」、「ウエサマ@」、「爺」の3名は、朝日岳分岐付近のベンチに座り、持参した“焼酎”で景気をつけ始めた。小さな350mlのペットボトルなので、回しのみしながら、「自分だけ多く飲むなヨー!」と注意することを忘れなかった。牛ケ岳を目指した2人の後姿を頼もしく思いながら、あっという間に「焼酎」を平らげてしまった。飲み物がなくなったら、早く帰って「鍋」を作って宴会をしょうということに一致し、山小屋へ向かった。途中、雪景色や雪のかぶった池塘などを撮影しながら下山の途についた。
13時30分、巻機山避難小屋へ帰着。(2人はこのあと牛ケ岳山頂を極めて帰還した)“鳥肉がきらい”だというトノ、ウエサマのために、二つの鍋を使って男の山料理が始まった。鍋の材料を切っているそばから、「もう飲み始めようよ」の声がかかり、すでに喉に流し込んでいる御仁も現れた。もう、こうなったらとめようもなく、自然の成り行きに任せるしかない。それよりも、自分の持参したウイスキー
を飲まれないように見張ることのほうが大事である。
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秋田比内鳥の鍋スープ、白菜1玉、ネギ、大根、にんじん、きのこ、ちくわ麩、鶏肉、そしてゴボウ(沢に洗いにいって忘れてきた)などを山のように切って、二つの鍋にブチ込んだ。これらのつまみに各自持参した各種の「酒」で何度も乾杯の宵であった。最後に「きしめん」(9食分を準備)を鍋にブチ込んで、仕上げとした。
あとから山小屋へ来た3人パーテーは2階で宴会をやっているようだった。飲んで、食べたら、寝るだけであるが、4人は1階の宴会場で寝たが、「トノ」は2階の住人が恋しいのか、一人我々から離脱して、そちら(2階)の寝場所へ行った。
深夜(午前2時〜3時頃)、爺はトイレへ行きたくなって、夜中に寝袋を這い出して土間へ降り、ウエサマの持参したビーチサンダルを履いて外へ出た。山小屋の扉を開けて一歩踏み出すと、酔いの醒めない足にツルリとした雪の感触が伝わった。庇の下の細いところを歩いて、山小屋の脇へ廻ったところで、溶けた雪に足をとられて、泥濘に靴下ごとはまってしまった。このときに右の腰を打ったが、これはたいしたことはなく、むしろ、濡れた靴下のほうが心配であった。山小屋裏手にある便所に行き着き、雪囲いの木の桟をはずして用を足し、帰りにまた山小屋の脇の細い通路を帰ったが、これがいけなかった。今度は両足を溶けた雪に取られて、もんどりうって転んだ。したたかに左腰を打って、しばらくは立ち上がることも出来なかった。今度は両足の靴下が完全に泥濘の中に漬かり、乾かすことは困難であろうと思った。
なんとか山小屋内に戻り、昨日野菜を包んできた新聞紙を広げて、濡れた靴下を乾かすべく、両足を何度もこすりつけた。この努力の甲斐あって、靴下のかなりの水分が抜けた。このまま寝袋に入れば“着干し”と同様に明日の朝までにはなんとかなるだろうと、寝袋にもぐりこんだ。
明け方の未だ暗いうちに、2階から「トノ」が降りてきたが、彼もまた覚醒状態のまま、爺の枕元にきてヘッドランプを借りにきた。ということは、夜、明かりを準備しないで寝てしまったということである。いつもの「トノ」らしさが滲み出ているナー!と思った。
11月2日(日)
5時00分、爺の目覚まし用携帯のメロディーが鳴り、「ワカ」が起きだした。今日は「割引岳」へ登るか、そのまま下山してしまうかを、皆の意見を聞いて決めようと思う。「ワカ」は自分の寝袋を畳むと、昨夜の鍋の残りを一つにして、朝食の準備を開始した。準備しておいたネギやきしめん、ラーメン、モチなどを材料にして朝食とする予定である。そのうちに、皆が起き出して準備にかかったり、トイレに行ったりした。
とにかくたくさんの材料を鍋に入れて作った朝食であるが、皆、昨夜の酔いを醒ますべく、食うわ食うわの状態であった。
7時15分、準備を整えて巻機山避難小屋を出発する。同宿者はザックを小屋にデポして山頂を往復するというので、帰るときには“雪囲い”を全部締めてくれるように頼んでおいた。
溶けた雪が凍り、木道上は歩ける状態ではない。アイゼンは必要ないとリーダーの爺が判断して、車中に残置してきてしまったので装着できない。一部、危ない箇所はやむを得ずに草地に雪が載っているところを歩くことにする。山小屋前で記念撮影をして、早速歩き出す。帰りも「ワカ」が先頭で、我々が歩きやすい場所を、歩きやすい速度で進んでくれている。途中、ビデオ撮影をしながら歩く「ワカ」はいつもながら頼もしく感じる。
7時30―40分、前(ニセ)巻機山で来し方を振り返り、雪の巻機山山行の楽しさや夕べの祝宴の模様を話したりして和んだ。この辺りはまだ雪が多く残っており、歩くには不自由な場面が何箇所かあった。
8時08分、八合目付近の階段状の登山道には、もう雪が溶けて殆どなくて歩きやすい状態であった。笹原の中のジグザグ降りるところも、雪は消えて、下山開始の小屋前での心配は全くなくなっていた。このあたりから登ってくる人達にも出会うようになり、「山小屋使用のあとには雪囲いの処理」を頼むようにした。
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途中で行き会った登山者の中に、新潟工業高等学校の山岳部のみなさんにお逢いして挨拶をした。顧問と思われる先生の後に、昔懐かしい山岳部の揃いのシャツを着た一行が颯爽と登ってきた。最後尾には女の先生がおられた。20年くらい前に県の外郭団体に出向していたときに、龍ヶ崎市の会社社長にお目にかかり、情報誌の編集取材をさせていただいたときに、お借りした写真が、まさしく当時の「山岳部のシャツ」であった。(この方は女子大の山岳部)懐かしい思いが満ち溢れました。この学生山岳部は麓で宿泊して、今日は日帰りで山頂を往復するという話である。
このあとも、登ってきたときに休憩した「展望台」では、来し方の山頂付近や沢筋、天狗岩の眺めなどを堪能しながら、ビデオを撮影しながら下山した。
10時55分、桜坂駐車場へ帰ってきた。今回は、見込み違いの「冠雪」に見舞われ、紅葉と雪景色を堪能して、さらに素晴らしい避難小屋を利用させていただいて、感激の山行を完了した。
下山後は、撮影したビデオの編集、例会での映写会などで、またまた盛り上がることを期待している。(取り急ぎの山行記録のため、読み返しもせず、間違いだらけの文章と思われますが、ご容赦ください)
<参考コースタイム>
11/1(土)
茨城県/水戸(20:00)―JR新前橋駅(23:00)―新潟県/六日町―清水―桜坂駐車場登山口(1:30)
11/2(日)
桜坂登山口(5:50)―四合目(6:45)―五合目(7:20-35)―六合目(8:20-30)―七合目(9:15-25)―八合目(10:10)−前巻機山(10:30-36)―巻機山避難小屋(11:00)*水汲み+宴会準備
巻機山避難小屋(11:40)−巻機山=御機屋(12:05)−朝日岳分岐(12:35)*2名牛ケ岳往復―巻機山(13:10)−巻機山避難小屋(13:30)*夜まで鍋にて祝宴張る
11/3(祝)
巻機山避難小屋(7:15)−前巻機山(7:30-40)―八合目(8:08)−七合目(8:30-40)−六合目(9:10)−五合目(9:50-10:05)−四合目(10:25)−三合目(10:40)−桜坂駐車場登山口(10:55)
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