東日本大震災ボランティア活動(プライベート)

期間:2011年4月7日(木)~10(日)



報告:井原

まずは当面、義援金は振り込んだものの、お金だけでいいのかと悶々としていた。 山岳会の年長のTさんが被災地に入るのでテントの借用を申し込んできた(70歳になるのにその行動力熱意に敬意を払います。)旨の会長発のメールが来て知り、同行を申し入れたところ快諾された。
目的地は宮城県石巻市のボランティアセンタ。石巻専修大学内に幕営できる。県外者も受け入れ、手続きは現地でできる。 期間は3泊4日、交通費を節約(この辺が発想セコいか、浮かした分は次回の義援金に当てます)するため日曜に帰る。 まずは手頃な体力も持つ活動である。・・自己責任ですので無理のないところで
4月7日(木)5時半、Tさん愛車WISHで水戸出発。東北自動車道は震災でか道路の上下のウネリ多い。仙台から高速道が混んでいたり地理不案内で手間取り昼前に石巻専修大学に着き受付で登録する。


ボランティアセンタの受付

ボランティア活動保険は宮城県社会福祉協議会が負担してくれるそうです。(これ以外は殆ど全てボランティア負担です)


芝生の上に幕営 会のテント借用しました

まずはグランドの芝生の上にテント張る。4人用でゆとりがあってよかった。 倉庫では持参したタオルや下着や学用品等の物資も受け付けてくれた。死蔵品も本来の働きができうれしいことでしょう。Tさんは自家製(菜園)のネギも提供。午後は本部からアパートのゴミ搬出の作業を指示されその場で個人参加の5名のチームを組む。リーダー役のマイカーに相乗りで現地まで行く。リーダーは鹿児島県屋久島のガイドの2人のうちの一人。屋久島でも自粛で登山客は例年になく少ないとのこと。(自粛が過ぎると日本経済が萎縮して復興にも支障きたすのではないかと思う。)もう一人の若者は岩手県の内陸からという。1時間半の作業。手始めは軽くとの天の配慮か。 帰ったら3時過ぎで今日の活動は終了。Tさんは大学時代の恩師の奥さん宅訪問、小生は読書。 最大級の余震(震度6と推定)で目が覚めた。23:32であった。津波警報が出て校舎3階に避難しろという。ここは大震災の時は冠水しなかったが標高3,4mのところである。そんな大袈裟なと思いつつ(これが千に三つぐらい?当たるから怖いのです)指示に従う。テント・車が津波にさらわれていってしまうのかと被災者には比較にならない低いレベルの心配・執着が心をよぎった。避難解除まで2時間近くかかる。 校舎にはボランティアではない地元住民らしき人もいる。近隣からもう避難してきたのか、早いものだと思っていたら、校舎の一部が避難所になっているようで(250人程度)その人たちでした。日頃学童支援のボランティア活動をしているTさんは避難者と交流して新一年生になるコーくんとお友達になっていた。

8日(金)は安全確認できていないためボランティア活動は休止。昨日来た私らには不完全燃焼?。軟弱自己満足志向の我らはさておき、1weekも2weekもボランティア活動している人はいい休養になったとのことでした。 Tさんの恩師の奥さん宅(旧北上川の対面にある)の本の散乱片づけに行く。作業は簡単でお茶飲みに行ったようなものだったが。 その後「不要不急の車の出歩きは自重しよう」という私の声は、「惨状を見ずして人々に報告もできない」というTさんの信念に押しきられた。予想外に渋滞もなく迷惑もかけず?斎太郎節(大漁唄い込み)3番に歌われて有名な(無知な私は初めて知ったのだが)日和山から海側を視察。TV映像どおりではあるが、自分の目をもって惨状を見た。知ってか知らずか公園の桜は花芽を膨らませようとしていた。






石巻市内海辺近くの惨状

9日(土)前夜から雨の予報であったが、夜は小雨で済み朝は殆ど止んでいる。山のテントでバッチシ、他の人のキャンプ用のモノは心もとなかったが小雨でよかった。 大手のピースボート等のNPOの組織だった救助活動は指揮系統が確立していて効率はいいのでしょうが、個人ボランティアの人々を糾合して作ったチームのアモール石巻(アモーレアモーレミヨという歌のあれです。スペイン語で愛ということを教えられました)に参加。ここは強制はなく入出自由、というか管理していない?ようです。マイクロバスで作業現場近くに送迎してくれる。現地に行き帰りのボランティアの負担はない。 仕事は水に浸かった民家の片づけです。道路にガレキ家具家電品畳布団ヘドロ等を出すのです。何時になるのか見通しはつかないがゴミは道路に出しておかないと持っていいってくれないらしい。家取り壊し屋のような心境でした。10名で3軒ほど。


一般家庭の片づけ  写真を撮っていると顰蹙を買うので撮影少ない

雨の予報だったのでゴアテックスの山のカッパ着て来たが後悔した。捨てていいカッパにすればよかった。足元は長靴に限ります。山のトレッキングシューズやワークブーツではもったいないしヘドロが足に入ってくることがあります。手袋は軍手はNG、水を通さない作業用の厚いゴム引きのものがよい。マスクも忘れず。暑いとくるしいでしょうね。9時から16:00まで作業。昼飯も各自ゴミの隙間を見つけてとる感じ。今回珍しく水出て機材(スコップとネコと言われる一輪車)洗えた。今日は仕事したという達成感は得られた。10日(日)Tさんとは別行動。私は今日もアモール石巻のチームに従う。今日はスマイルクリーンデーと銘打って市街地を集中しての清掃活動。500人規模のボランティアという。市長や関係の人らの音頭で開会式やガンバローのシュピレヒコールの後作業に入る。


開会式

アモール石巻50名程で飲み屋街の比較的狭い道で作業。重機を入れてゴミを搬出できるようにするためヘドロの積み上げ、家電品積み込み、ヘドロの袋入れ等。


これは作業後、家電品はトラックで出してヘドロ掬って重機入れるようになってきた

お昼はイベント的要素あってか炊き出しあり。菓子パン、バナナ、元気汁(肉の代わりに魚肉ソーセイジで味イマイチ、贅沢言ってすみません)ポタージュスープ等いただける。(これは例外食べ物も持参が原則です)地べたに座って頂く。


炊き出し所


支給された食べ物 量は無制限にもらえますが・・・ 普段はこの支給もない。

午後は我々一部は通りから入った一人暮らしの女性宅の清掃、ヘドロ撤去までには至らなかった。通りは重機・トラックが入り能率よく撤去して通じるようになっていた。16時前作業終了。付近に水なくて機材を洗えず。米軍からもらったという新品のスコップ一輪車はヘドロだらけで管理するピースボートに返す。ごめんなさい。川へでも運んで洗うのがいいのかしらん。


作業終わってバスを待っているところ

ベースキャンプには17時前着。Tさんと合流して余った水はテントの近隣にあげて(幕営で辛いのは断水状態なのです)撤収。18時前帰途につき、水戸には24:00頃自宅に着く。石巻専修大学の太っ腹には感激感謝します。援助活動する自衛隊も頼もしい。特にスキルのある人は別としてボランティアは汚れ仕事が多いです。汚れるのが嫌な人は自分のため現地のため行かない方がいいです。それでは気が済まない人は義援金で協力しましょう。
ボランティアは北海道から沖縄まで遠くからもきている。団体名やよもやま話から察するに山愛好者が多いように思います。

参加者:土屋、井原 計2名





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