残雪期の月山

山行記録

期間:2012年5月2日(水)~5月5日(土)



報告:渡辺

5月の連休は大混雑するのでここ数年、家でごろごろと決め込むのが常であったが、朝日連峰に入るというので山行を決断した。その理由は、朝日を制覇すれば東北の大方の山に足を入れたことになるからだ。
5月2日 PM11:00雨の常磐高速に乗る。さすが連休、下りの常磐道はテールランプの長い光のページェントである。東北道から山形道に入っても雨は止まない。西川ICで一般道に降りるが、あちこち雪が残っている。
5月3日AM7:00月山分岐から大井沢の集落に入ると、これが5月に入っての景色かと目を疑いたくなるような雪原である。雪解けと雨のため集落の中を流れる川は泥水が逆巻いている。

登山口「大井沢集落」の状況

雨が強くなったり弱まったりと、一向に回復する気配がないことから、行程の長い朝日に入ることを断念し思案していると、朝から開いている温泉を聞きつけ、渡りに船とばかりに朝風呂を決め込む。檜の一番風呂に夜出しの疲れを癒す。

大井沢温泉駐車場から見た隣家の様子


5月3日午前7時30分、温泉入浴

雨は益々強くなるようである。フロントでいろいろ話をしていたら朝から受け入れる民宿があるというではないか、これ幸いとばかりに投宿を決める。食料は持っているので自炊を条件にお願いする。家が古く内心ためらいもあったが、6代続くという民宿「おおはら」は、職人の旦那と宿を切り盛りする女主人でやっている。

大井沢の民宿「大原」

今日(5月3日)はやることないから、手持ちの肴で酒盛りを始めた。田中さん手作りの蕗の薹の炒めもの、村越さんのキャラブキ、自分の作った小女子山椒和え等、海山千里の持ち寄りである。昼食は、奮発して山菜そば(1150円)にした。きのこ汁に天然もののキクラゲが入っていたのに感激する。山菜はいろいろなこごみ、愛子、シドケ、カタクリの花と茎の干し戻し、タラの芽の胡麻和え、やまにんじんのおひたし等、鱈腹山菜を食する。

月山蕎麦の茸、山菜汁


個人取り分けした蕎麦


酒の肴①「コゴミ」


酒の肴②「大根の甘酢漬砂糖まぶし」

PM2:20ごろ、大鳥から朝日に入った松崎さんから山を下りたと連絡が入り、途中まで迎えに行く。道中、湯殿山神社入口から庄内に入ると、景色は大井沢と一変する。雪は少なく、木々は若葉が萌えて、桜の朱が混じり、一服の絵を見ているような美しさである。夕食前に温泉で暖まり、松崎さんを交えて大宴会を始める。野菜、鶏肉、うどんの鍋で、山菜の山盛りが加わり豪華な夕食である。宿の旦那が加わって熊と出会ったことや山菜とりのコツなど興味のある話であったが、なまりが強くて話が分からなかった。 

「若」も入って6人のヤケクソ宴会の準備風景


晩飯時の宴会用つまみ(民宿に注文)

5月4日AM7;00 雨があがりあたりが明るくなったので月山に行くことになる。天気予報は曇りで夜雨であった。志津温泉に入ると、道路の両側は雪の回廊状で大地が出ているところに蕗の薹が出ている。今晩のおかずばかりにひとしきり蕗の薹を採る。 「大地出でて一番頭の蕗の薹」姥沢駐車場に着くとまた雨が降り出すが、スキー場の上方は見通せる。外気温10度以下。

月山スキー場(登山口)へ道は雪の回廊であった


月山スキー場駐車場

自分は寒冷症の影響で左手がずきずき痛み出したので残ることにして、宮本、松崎、田中後夫妻、村越智子さんの5人が出発する。山頂泊りだから相当の荷物になるが、若い松崎さんが心強い強力である。1キロのリフトで上の駅まで行き、上の駅からは姥岳に一気に登り、そこから雪原を右手に向かう。

スキーリフトを利用して体力を温存


いよいよリフト上部から登山開始(少しガス気味)

下山後の報告では、篠竹に赤布を結び、目印をつけての登りであったそうだ。4時ごろピストンで下りてきた札幌からきた夫婦は、赤布があって非常に助かったと言っていた。鍛冶小屋あたりでこの夫婦と我がパーティがすれ違ったと言っていたので大事無く山頂に着くことができるなと、安堵した。姥沢の駐車場では一時晴れ間も出て雄大な朝日の山々が望めたが、日が落ちた時分から雨風が強くなる。PM10:00過ぎから氷雨に変わり車体が軽い金属音で叩かれる。夜半になると更に雨風は強まり、車が横転しそうになるくらい揺れて、風の当たらない場所に移動した。山のみんなはどうしているかと心配しながらの睡眠だったので、まんじりとしない一夜になった。
5月5日朝、雨風一向に治まらない。スキー場は白いもやに包まれてぼーとかすみ、全体の把握ができない。8:35山頂からの第一報が入ったが、携帯の電池が切れそうでこちらから返事ができない状態に陥る。留守電の声ははっきりしているし落ち着いてもいたので、大丈夫だと確信した。その後、何度か通信があったが変化がなかったので心配はしなかったが、何時下りてくるのかが分からないでイライラを募らせた。11:30昼食のため食堂「かしわや」に入り充電器を貸して貰い、通信する。正午、上の駅に着いたと連絡が入った。そこから1時間もすれば駐車場に帰ると見込み、車内の整理をしながら待った。1時過ぎに5人全員が姿をみせ月山登山が終った。みんな疲れきった表情であったが、達成感と満足感が溢れていた。

スキー場上部(ロープウェイ降り場)


スキーリフト上部休憩舎で食した“蘇えりのうどん”

テントでは盛大な酒盛りと鍋料理で一夜を過ごしたが、みんな寒い思いをしたようだ。特に、松崎さんは朝日連峰での濡れた寝袋を使ったから大変な思いだったそうだ。良きリーダーとサブのおかげで事故もなく帰還できたのが何よりである。白馬や爺ヶ岳、涸沢岳の遭難のニュースを聞くと他人事ではなかった。山はいつでも待っていてくれる。逃げはしない。勇気をもって撤退する判断と決断が肝要であり、運・不運の分かれ道である。
 「月山や八十八夜の白い壁」
5月5日PM3:00 水沢温泉で汚れを流し、一路帰途に就く。我が家に8:30ごろ着く。

2012.5.2-5.5
同行 宮本光長、田中正博・厚子、村越智子、松崎博司
食料調達 井原隆
費用   15000円






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