東日本震災地訪問の旅

期間:2013年11月21日(木)~23日(土)



報告:渡辺

 あの忌まわしい3.11から2年9ヶ月が過ぎようとしている。被災地見舞いというか支援に何時かは行こうと思っていたが、葛藤があってなかなか腰があがらずにいた。
 震災後少しばかりであるが義捐金を震災地に送ってきたが、今年は現地に行って直接渡そうと思い、山仲間を誘って出かけることにした。

 11月21日午前4時30分、家を出て一路東北に向かう。仙台辺りでは小雨に見舞われ、花巻から石巻道に乗る頃にはチラホラと白いものが降りてきた。東野から笛吹峠を経て大槌町へ出た。峠では木々の枝葉は真っ白、道路はシャーベット状で一足早い冬の装いを垣間見たが、平野部はまだ色をつけた晩秋というか初冬の佇まいである。鵜住居(うのすまい)という集落で仮設住宅を初めて見た。
 風光明媚な山田湾を有する山田町に入ると、息を呑むような光景である。打ち砕かれた防潮堤、打ち破られたビルや家屋、放置されたメチャメチャに壊れた自動車など情景描写を語るには余りにも無残な状況である。
 大槌町では強烈な光景に出会う。4階建ての大槌町役場が津波に打ち破られて骨組みだけを残して何もない荒涼たる広っぱに残骸をさらしている。津波が襲った時間を指しているのか止まったままの時計が3.11の悪夢を物語っている。役場前に供養台があった。大槌町では川を遡上した津波が平野部を一飲みにしたのだろう、はるかな山際まで見晴らかす。
 釜石では釜石観音から釜石湾の沖の防潮堤や市街を一望した。世界一の防潮堤がズタズタに破壊されている有様がはっきりと見て取れる。
 大船渡まで南下して、碁石海岸の泊里という集落に宿を取る。今回の旅はノープランの行き当たりばったりであるから宿も電話帳をめくっての予約であった。当るも八卦の思いであったが、良い宿に当った。津波が寄棟平屋の屋根を越えて建物は全壊したという跡に同じ規模の家を建て、昨年の10月から民宿をはじめた「吉十郎屋」が宿である。定員4名のアットホームな宿で木の香がぷんぷんする。夜の談話で泊里の津波の様子を詳細に聞き、大船渡の津波襲来のDVDを観て、津波の怖さを改めて思い知らされた。
 泊里は3重の防潮堤に守られていたが、開口部の多い陸地側の堤が破壊され、高さ10m前後の津波が来たと言う。吉十郎屋の裏手の高台の麟祥寺では山門を越えて本道の床上まで襲ってきたという。近所のシタホの女将さんは、津波は行き場がなくなると渦を巻きながら谷あいや口を開けている平野部を蛇が鎌首をもたげるようになだれ込んでいったという。その様を避難していた避難場所の神社から見ていたが、恐怖で何がなんだか分らなかったと言う。津波が来るといわれても今までは数十センチ程度の津波であって、津波の大きさや怖さを体験していないからどう対処していいか分らなかったことも被害を大きくしたとも言っていた。17名の方が犠牲になったという。
 シタホの女将さんが言っていたことは、私が、3.11に最初に感じた思いと同じでその日に記録していた一文を紹介する。
「陸前高田や南三陸町、名取市などでは津波で町そのものがなくなっている。内陸20キロまで津波が来たところもあるようで、住民は津波が来ると言われても何処までくるのか理解できないもどかしさがある。自分たちもどうすればよいのか分からなかったのであるから東北地方の人々は想像を絶する恐怖を感じたし、間に合わなかったのであろう。この一連の地震は東日本大地震と名付けられた。地震は過去も現在も未来も洗いもぎ取ってゆく。それも一瞬の出来事である。人智を超えた自然の猛威に形容しがたい恐怖感を体感した。」

 11月22日、陸前高田に向かう。途中の海岸線一帯はいずこも光景が同じようである。場所は何と言うところか分らないが、大きな田んぼ群の土を入れ替えている作業現場に出会う。まるで耕地整理をしているような現場であった。
 陸前高田に入ると、大きな重機が唸りをあげている。小高い山を削り土砂を埋め立て用に使い、高台は住宅造成地とする工事である。土を運ぶベルトコンベアーが建設中で間もなく稼動するという。奇跡の一本松は、周辺整備の大きなクレーン車群の中にあり、クレーンの腕と見間違う。幾度か来た事があった高田の松原であるが、北上川川口の大きな水門と松原観光センターの建物(もちろん破壊されている)だけが往時を偲ばせる。
 山田町や大槌町では、復興の計画は出来上がりいろいろな所に掲示されていたが、工事現場の槌音は大船渡や陸前高田と比べると小さかったように見えた。復興の程度差は財政力の違いかどうか分らないが、市部の方が力は入っているように感じた。
 この間、各市町村の仮設住宅を見やってきたが、あすこにもここにもという状況である。気仙沼の仮設の食堂で漁師のまかない丼を食べる。南三陸から女川に出て、電話帳から探した「ふじや旅館」に泊まる。途中の志津川湾はきらきらと光り、蛎イカダが幾何学模様を描き一幅の絵画のようで、この海が荒れ狂ったとは思えない凪の海である。
 女川では海岸線までは行かなかったので詳しい状況は分らないが、国道398号線沿線では一見津波があったかどうか判別できないようであるが、よく見ると家屋などは既に修復されたようである。JR石巻線は、浦宿駅から女川駅間は架橋が落ちたりして浦宿駅停まりで運行されている。鉄道の海側は真新しい防潮壁が設置されていた。
 石巻街道沿線は津波の爪あとが見た目でも分る。石巻港周辺は工業団地も水産加工団地も復興復旧が進んでいるようで活気を感じ、岸壁には大型巻網漁船やたくさんのサンマ船が停泊していた。
 松島は6mの津波に襲われ、島巡り桟橋近くの民家ではじわじわと水位が上がってきたと思ったら、あっという間に床上2m近くまで冠水したという。松島の島々が波除となったため津波の衝撃が和らぎ被害が最小化されたと、被災した民家のおばちゃんが言っていた。
 最後の訪問地は塩竃である。ここに来て寿司を食わない手はないから目についた寿司屋に入る。「すし哲」というのれんが下がっていた。大間のマグロや生牡蠣、シメサバなど塩竃ならではの寿司を堪能して帰路につく。店先は順番待ちのお客で一杯である。
 被災地を早く見舞わねばとの思いはあったものの、単に行くだけでは申訳ないと思ったりして逡巡していたが、シタホの女将さんが言っていた「どんどん被災地に来て現場を見て、津波の怖さを学習して行ってほしい」との一言に救われ、今回震災地を訪問してよかったと胸のつかえが取れた。

2013.11.21-23   同行 宮本氏



笛吹峠 雪景色

山田町 放置された車

残骸の大槌町役場

分断された防潮堤 正面

分断された防潮堤 側面

向こうの端

釜石湾入口の防潮堤

泊里 民宿吉十郎屋

民宿玄関内部

民宿の豪華夕食

泊里の破壊された防潮堤

高台の寺の山門 津波浸水の表示

高台の寺 床上冠水

避難場所神社日本最古 三面椿

水を被った窓の記し 白線

塩害防止の土の入れ替え工事

陸前高田のベルトコンベア建設

陸前高田 山にかかる虹

奇跡の一本松

地盤沈下した松原と松の切り株

松原観光センター 水門

気仙沼復興屋台村

石巻港 大型巻網漁船




トップに戻る      山行記録に戻る