熊野古道 高野山から熊野本宮大社まで小辺路を歩く
期間:2013年4月18日(木)~23日(火) |
歴史は「過去と現在との対話」であるという、決めせりふの番組がある。平安時代に極楽往生を願って都から熊野本宮大社まで往還した熊野詣で路を歩いて、その対話の息吹を感じてみようと高野山から熊野へ通じる小辺(こへ)路(じ)72キロを歩いてみた。
熊野古道は、大辺路、中辺路、伊勢路など数多くあるが、小辺路は紀伊半島の真ん中を北から東に向かって、紀伊山地を縦貫する険しい山岳路である。紀伊山地は真言密教の高野山、神様を敬う熊野三山、吉野・大峰に代表される山岳修行の舞台となり、小辺路はそれらをつなぐ最短の路である。
水ヶ峰分岐、伯母子峠、三浦峠、果無峠と1000㍍級の峠を越える厳しいコースで700~1000㍍の上り下りが繰り返されるが、途中には石仏、石畳、地蔵尊、茶屋跡、住家跡や巨木の防風林など往時の跡が偲ばれる。
クラブツーリズムのツアー参加で24名である。平均年齢60代後半、最高齢75歳である。
4月18日伊丹空港を午前11時ごろバスで出発する。2時過ぎ高野山に着く。高野山は8峰に囲まれ、さながら八葉蓮台の形をなしている高野盆地で900㍍を越す高地である。奥の院やら寺町を巡るが、あちこちの坊では桜が咲き遅き春満開である。1200年間絶やすことない法燈が灯り、20万基の仏石や供養塔が立ち並び、真言密教の聖地を垣間見た。江戸時代に寄進が盛んだったといわれる供養塔を管理するため宿坊(寺)が創建されたといい116坊を数え、うち56坊が宿泊坊となっており、我々は真言宗総本山である金剛峯寺の前にある天徳院に宿をとる。天徳院は加賀の三代目に嫁いだ千姫の妹の法名で、坊が管理する事で法名を使うことができた。池泉式観賞庭園を有し、庭木の馬酔木が白い花をつけていた。
梵鐘や お山にひびき 坊眠る
4月19日
第1日目 |
金剛三昧院―薄峠―水ヶ峰分岐―大股バス停==野迫川ホテル(泊)
歩程約16.8キロ約6時間 |
天徳院で朝の勤行をうけ清々しい気持ちで、小辺路遍路の第一歩を午前7時50分千手院バス停に記した。金剛三昧院入口を右に折れて民家の軒をだらだらと上り、ショウジョウバカマが群生している傾斜地を抜けると、大滝口女人堂跡にでる。高野山は女人禁制であったため女人堂が設けられ、7つの入口があった。大滝口はろくろ峠に造られて女人堂であった。9時50分「くまの本宮より17里」と刻まれた丁石を過ごすと、下りになり高野槙が植えられた住居跡に出て、御殿川の鉄橋を渡り、高野槙の林の中を上り返すと大滝の集落にでる。十軒ばかりの集落で住人は12人という限界集落である。古老の話によると、明治から昭和の初めまでは200人前後の人々が生活していたが、電気が通じ道路が整備されると便利さや効率化に生活環境が変化し、自給自足から消費生活に変わり、現金収入を求めて徐々に村を離れて行く人たちが多くなり今日の状況となったという。高野槙は植林後20年くらいで切り枝として仏前に供え花として使われるが、幹は流し、風呂桶などの水回り用材に使われる。水ヶ峰分岐―今西辻―平辻地蔵を経て3時25分大股バス停に到着する
ここからバスで野迫川(のせがわ)村の野迫川ホテルに入る。2年前の大洪水のときは6㍍近く水があがりフロントまで浸水したという。夕食はカモ鍋とアマゴの焼き魚美味であった。
4月20日
第2日目 |
野迫川温泉==大股バス停―檜峠―伯母子峠―上西家跡―水ヶ元茶屋跡―侍平屋敷跡―三浦口バス停===民宿津川
歩程約16キロ約7時間 |
大股は2つの川が出合う場所で標高おおよそ700㍍、午前7時50分、人家の軒先をくねくねと上ってゆく。出だしから結構きつい上りで人家を抜けると杉林が密生する山道となる。約1時間で昔、萱を刈ったといわれる萱刈場跡にでる。標高1000㍍、おおよそ300㍍あがる。弘法大師が箸を刺したら檜林になったという故事が残る檜峠を10時10分通過。伯母子岳分岐は峠道と護摩壇山との分かれ道で真ん中の登山道を行く。
11時10分伯母子岳1246㍍の頂上である。360度の大展望に満足する。大峰奥駆の山々から吉野の峰、高野山から護摩壇山塊までぐるり一望できた。尾根伝いに伯母子峠に下り昼食をとる。明治22年十津川大洪水の時、望郷の熱き涙を断ち切って十津川の村人2691人がこの峠を越えて北海道石狩トック原野へ集団移住したという悲しい歴史を刻んでいる。今日の新十津川村の発展は、リーダー更谷喜延が考えた「移民誓約書」のお陰といわれる。
十津川を 伏し拝んで 峠越え
峠から三浦口までのくだりは細くてガラ場も多く、足元に気を使う。あたりは雑木と杉や檜の林で見るべきものは少ないが、遠くに望む山々には今を盛りに山桜が咲き競い疲れた体を癒してくれた。道案内には生活の道でもあって馬で荷を運んだと書いてあったが、果たしてそうなのかと思うような山道である。
途中には上西家跡とか水ヶ元茶屋跡とかの旅籠跡がいくつかあって往時の繁栄ぶりを偲ぶことができる。2時過ぎ、水ヶ元茶屋跡を経て急なくだり上りを繰り返し、侍平屋敷跡まで来ると無造作に並べられた石畳道が現れる。腰抜田石碑に出会うと三浦口はあと僅かで4時に今日の目的地に到着する。三浦口は住民15人の限界集落であちこちに空き家が目立つ。10年も足らずに廃村になるだろうと村人が言っていた。バス停まで20分ばかり歩き、タクシーで民宿津川に5時に入る。
男は岩風呂に入り疲れを癒し、シシ鍋にシカの竜田揚げなど高たんぱく質の夕食と元気な美人姉妹の接待で愉しいひと時を過ごす。夜中になって雨が屋根を打つ。
伯母子岳標識 |
登りだしの登山道 |
伯母子岳1246メートル |
伯母子岳から大峰奥駆山塊 |
伯母子峠の分岐 |
上西屋敷跡 |
三浦口 |
民宿津川美人姉妹 |
4月21日
第3日目 |
民宿・津川==三浦口バス停―三十丁の水―三浦峠―矢倉観音堂―西中バス停・・徒歩2時間 十津川温泉ホテル昴
歩程約19.2キロ約6時間30分 |
雨あがりの朝、気温は零度合羽を着込む。雨に洗われた新緑と妖艶な藤の花に見送られ午前6時35分民宿をタクシーで出発する。7時15分標高約400㍍の三浦口から神納川にかかる船渡橋を渡る。今日の難関三浦峠標高差700㍍にかかる。小辺路への道標を確認して薄くらい林の急な道を上って行くと、頭の上に数件の民家が現れびっくりする。民家の間を30分ほどあがると1件の大きな民家がある。ガイドが洗濯物は1年前から同じ状態だという。小さな三輪車が転がっていて言いようのないむなしさを感じた。さらに上がって行くと小さな棚田が広がって見える。棚田が見えるところから暫く石畳が続き、こんなところに思う場所に空き家と思しき民家が数軒ある。8時15分何とも形容しがたい奇形の杉の大木が迎えてくれる。昭和23年に家を離れた旅籠屋吉村家の防風林で樹齢500年とも言われる。9時15分三十丁の水場、甘露水で英気を養う。途中迂回路を通って変哲もない山道を約1時間半ばかり上ると、標高1080㍍の三浦峠にでる。峠は大きく拓け林道が入ってしまって峠らしくない。峠からの眺め良く眼下に三浦口の集落や新緑の山肌が疲れを和ませる。途中、ギンリョウソウやネコメソウを見つけ、アブラチャンとかいう新芽に興味がひかれた。
峠から西中バス停まで一気に800㍍を下る。古櫓跡や出店跡、雨水を頼りに拓いた田んぼ跡などを見やりながら1時に標高400の矢倉観音堂まで下りてきた。鞘堂に納まった観音さまに道中の安全をお願いして1時30分西中バス停に着いた。バス停から国道425号線を今夜の宿「昴の郷」まで2時間の歩行が始まる。上湯川に沿って国道をひたすら歩いて4時前に宿に到着する。 生ビールとアマゴの骨酒で疲れを癒す。
4月22日
第4日目 |
昴の郷―果無集落―果無峠―三十丁石―八木尾バス停―川湯温泉みどりや
歩程約10.4キロ 約5時間30分 |
快晴さわやかな春風が頬をはらう。正面に果無山脈を仰ぎ見る。昴の郷は西川の中州を造成して昭和57年にできたという第三セクターのホテルであるが清潔で食事も美味しかった。温泉がよかった。
午前7時50分、標高140㍍の昴の郷を出発する。柳本橋はつり橋で長さ90㍍、高さ10㍍間隔を置いて4人ずつ渡るが、怖かった。最後の頃は喉が乾き膝はガクガクして渡り終えたときは心臓がバクバクしていた。急な上りの石畳を1時間ばかり上ると、にほんの里100選に選ばれたかの有名な「果無集落」に着く。ポスターに出てくる岩本のおばあちゃんは畑でわらびを採っていた。90歳になるがひとりで生活しているという。岩本さんの軒先で清水をいただく。家のまわりは掃き清められ、廊下の床や障子の腰板はピカピカである。畑はよく手入れされポスターそのままである。高台から風景は天空そのものである。果無路は三十三観音が祀られ十津川から番号が段々若くなる。果無集落には三十番観音があった。観音石仏から先は暫く石畳が続く。二六番観音あたりから急な上りが続く。やや開けた天水田で二十五番観音、果無の山々が見え、山口茶屋跡や地蔵菩薩立像を過ぎて坂を上りきった所で眺望が開ける。二十二観音から急な登りの階段となり、11時15分三体の観音像が祀られている観音堂に着く。昼食をとる。ここは二十番観音石仏である。果無峠唯一の水場があり滔滔と流れ出ている。ここから1時間ばかり12時35分標高1114㍍の果無峠に到着する。峠には十七番観音が祀られ、手前に壊れた宝篋印塔がある。峠はブナ平方面への果無山脈縦走路が交差している。ここで高野山から2日で来たという青年に会う。三十丁石から本宮を望み、七色分岐を経て八木尾バス停に4時に着く。下り口の観音石仏は2番観音である。今宵の宿は、川湯温泉みどりやである。熊野川に面した温泉宿は川の中に露天風呂がある。混浴なれど女子は入浴用の浴衣を着ている。夜空に星が浮かび満月に近い月が川面を照らし、カジカがころころと鳴き旅情満点である。川湯は川の中を掘って千人風呂を開くところで有名である。夕食は山海の食材満載のバイキングである。
黙々と 小辺路遍路に 花の風
三十丁石 |
八木尾登山口 二番観音 |
西国三十三観音の故事 |
川湯温泉露天風呂 |
川の中の湯気 |
有名な十津川村のポスター |
4月23日
第5日目 |
川湯温泉==八木尾バス停―道の駅奥熊野古道ほんぐうー三軒茶屋跡―熊野本宮大社―大斎(おおゆの)原(はら)
歩程約5.5キロ 約2時間 |
快晴絶好の旅日和である。八木尾バス停に戻る。一番観音は道一本離れた小高い丘の旧八木尾公民館の庭にあった。道が通って昔の古道が切り離されたようである。熊野川を左手に見ながら国道168号を暫く歩くと三里橋に出会い、渡りきると道の駅である。最近は別の道ができたため利用者がめっきり減ってしまったそうだ。
国道168号と三軒茶屋跡の分岐を右手に入って行くと、中辺路の伏拝王子からの合流点三軒茶屋跡である。右かうや左きみいでらの石碑がある。三軒茶屋跡からは木の根踏みのゆるやかな登り道になる。約40分で祓殿王子となる。道中の汚れを祓ってから本宮の神域にはいって参詣するのが習わしとのことであった。熊野本宮大社にお参りして大斎原の鳥居をくぐって熊野古道小辺路72キロ完全踏破のゴールである。完全踏破の証明書をいただく。
西国三十三観音 一番観音 |
三軒茶屋跡 徳本文字石碑 |
三軒茶屋跡道標 |
大斎原の大鳥居 |
熊野古道小辺路完全踏破証明授与 |
小辺路は参詣の路であると同時に物流のための生活道である。いまだに山の中に集落があり生活の匂いが漂う。一方、道中には昭和の初期まで営業していた宿屋や茶屋の跡がいくつも残り、石仏や苔むした石畳、観音堂など過去を振り返り今を知る紛れもない歴史街道であった。6日間の長旅であったが、山崎ガイドのゆったりリズムの案内と添乗員坪倉さんのこまやかな心配り、心打ち解けあったメンバーの協力で予定通りの日程消化ができて愉しい小辺路遍路であった。
費用112340円 勝田―羽田バス片3500円
|
|
|