南部南アルプス山行
易老岳(2591㍍)、イザルヶ岳(2540㍍)光岳(2591㍍)
期間:2013年7月20日(土)~22日(月) |
2005年の7月、同じ時期に聖岳・兎岳・大沢岳・赤石岳に登り、南アルプスの大きさにさんざ泣かされて、二度と南には入れないと思ったが、時うつり8年心揺さぶられたが、南深部に位置する光岳を目指すことにした。
7月20日
早朝、水戸を出発し北関東、関越を経て飯田ICで降り、国道152号線を南下する。矢筈トンネルを過ぎ、上村小中学校の少し先の上島トンネル手前を右手に折れてトンネルを跨ぐ格好で林道赤石線に入る。昭和39年までは森林軌道が敷かれていた。車一台が通れるほどの広さで山肌にへばりつくように標高700~800のところをくねくねと便ヶ島まで続く。途中には民宿あり、日本ふるさと100選に選ばれた「下栗の里」が眺望できるビューポイントあり、発電所ありと景観盛りだくさんで約20キロの道程である。便ヶ島の登山口には聖光小屋がある。森林軌道時代には営林小屋があったようで西沢渡を少し上がった場所にはターンテーブルの回転場が残っているという。聖光小屋は築10年ほどでシャワー(夏場だけ?)もある。駐車場は50台ほど、外にキャンプ場に50台おける。早出の疲れを今日ここで癒し、明日早朝光岳を目指す。便ヶ島の謂れは、遠山家の奥方が追われてここに潜み便りを出したと言う説と、一揆の首謀者がここから指示を出したという説がある。
便ヶ島 聖光小屋 |
便ヶ島 聖岳登山口 |
便ヶ島周辺案内 |
7月21日
午前1時起床、カップラーメンに餅の軽い朝食を摂り、30分ほど下がった易老渡の駐車場に車を移す。ここは30台ほどが置けるがやっと1台置けるスペースがあった。午前2時20分易老渡の赤い金網の橋を渡り、光岳に入る。漆黒の闇を4つのヘッドランプがへばりつくような登山道を照らす。山裾をトウガで拓いたような細い登山道で上り口はズリズリと滑るガレ場が500㍍ほど続く。登っていくときは真っ暗闇の中だから怖さしらずであったが、帰りは足がすくむほどである。
易老渡-光岳登山口 |
インタバルの短い綴れ折りが1時間ばかり続くと川のせせらぎが聞こえなくなってくる。この辺まで来ると、急な上りも一息し、4時20分ちょっと開けた面平に着く。あたりはシラビゾの大木である。夜が明けてきた。
面平
|
面平のシラビソの大木 |
木の根を踏み踏み高度をあげると、いよいよ5段登りが始まる。1750~2000㍍まできつい登りとゆるやかな登りが5回繰り替えされる。息も絶え絶えの急坂や馬の背越えやトラバースもあって変化に富んだ登山道である。1800から1900あたりは、ウラジロマミジやシラビソの林である。2100㍍までのぼると、小さな広場がありそこには大きなコブを抱えたダケカンバの巨木がそそり立っている。さらに高度を上げると北面が開けて聖の巨岳が見えてくる。7時40分、2254㍍のピークに到着する。3等三角点がある。
五段登りのトラバース
|
2100㍍付近コブ付カンバ |
2254㍍三角点 |
急峻な馬の背 |
木の間から聖岳 |
易老岳 |
8時30分、分岐に出て易老岳に到着する。休憩時間を入れながら6時間の登行でほぼコースタイムである。聖岳・茶臼岳、光岳への分岐で、既に茶臼岳からの登山者が数名いた。9時光岳に向かう。分岐を光岳路に入ると、下草やシダが青々と姿をみせてこれが南アルプスの山だと思える植生に変わってきた。いままでは北面の斜面が多かったが、ここからは南面に移り太陽のひかりが注ぐからだろう。分岐から一気に200下り、200登り戻すと9時50分になる。所々に湿地があり、ダケカンバの老木が景観を添えている。三吉ガレ場を過ぎて三吉平に10時30分となる。ここから易老岳の山塊域から光岳の山塊に移る。
易老岳三角点
|
分岐から光岳への森林 |
イザルヶ岳(左)光岳山塊 |
石俣沢のゴロゴロした歩きづらい急な登りをのぼりきると、11時5分石俣沢の頭に出る。途中にはイワカガミやゴゼンタチバナなどの高山植物が疲れを癒してくれる。バイケイソウの花はすべて鹿に食べられて見る影もない。石俣沢の頭の上部はお花畑と言われる。11時25分である。ここに来ると、ハイマツが群生して低木にかわる。11時55分イザルヶ岳の分岐。空身でイザルへ行く。ま~るい頂上は泥岩の細かい砂が敷き詰められたようだ。360度の展望で北には易老岳に続く茶臼、聖の大山脈が眺望でき、正面には大きなおむすび形の山系が、東南方には富士山が見える。分岐に戻る途中光岳の中腹に光の小屋が見えた。分岐から小屋まではチンジョ原といい、木道が敷かれ、回りは土壌が凍結したときにできるぼこぼことしたアースハンモックが広がっている。運がよければ雷鳥が見られるという。
12時45分光小屋に到着する。一息入れて片道15分で行ける光岳(2591㍍)に向かう。奥大井の源流部に位置する光の頂はアルプス特有の岩の上ではない。さらに7分山を下ると、光岳の名がついたと言われる「光石(てかりいし)」がある。うす青く輝く石灰岩の巨岩である。朝夕太陽の日差しが当ると光輝いて見えるという。夕食は、カレーライス。一人が小屋泊りで3人はテント泊りである。小屋は2階建て素泊まり4000円、寝袋500円であった。トイレはバイオトイレで清潔である。
イザルヶ岳からの聖岳方面
|
イザルヶ岳頂上 |
チンジョ原から光岳 |
光岳頂上(2591㍍) |
光石 |
光小屋 |
7月22日
2時起床テントを撤収してカップそば(餅入り)を食べて、午前4時に朝霧が当りを真っ白にしている中を下る。昨日散々苦労した石俣沢を苦もなく下り、5時三吉平に着く。5時45分三吉ガレ場を過ぎ、6時35分易老岳の分岐に戻る。6時45分分岐を下り、昨日暗闇の中登った山道を確かめながら易老渡りに戻ったのは10時45分である。道中の長い光岳の山行であったが、南アルプス特有の森の成り立ちと植生を楽しみ、山塊域の大きさに圧倒された2日間であった。易老渡から1400㍍地点はヤマヒルの生息地だそうで我々はそんなこと知らずに登り下りしたが、季節によっては十分に装備して行く必要がある。 こんなところに人が住んでいると驚愕しているのは、神様の配剤でたまたま安穏なところに暮している者の言わしめることである。赤石林道線の700~800の高所にぽつりぽつりと人家が出てきた時に、また向こうの峰にたった1軒の家が見えたときはびっくりした。ここ長野県飯田市上村・南信濃地域は「遠山郷」と呼ばれ、中央構造線のその谷間にある。下栗の里は標高1000㍍前後の急傾斜地に家々が散在している。文献によれば、縄文土器が近くから出土しているといい、その時分から人々が住んでいたのではないか。下栗の集落の奥の大野の集落は武田の残党が静岡県の井川上流から光岳を越えて遠山谷に入り最初に着いたところといわれている(下栗の里を歩くより)。現在300人前後の限界集落である。南向きの急傾斜地の家並みは棚田のように美しい。深田久弥は「下栗ほど美しく平和な村を私はほかに知らない」と言っている。村人たちは美しい村を守ろうといろいろな事業を展開している。ジャガイモは小さいが2度収穫され、2度イモとも言われ下栗の名物である。農業と鹿やイノシシを狩猟する自給自足の集落である。日本ふるさと100選に選ばれている。
天空の里 下栗の里遠景
|
下栗の里 棚田のようである |
帰りは遠山郷和田まで足を延ばし、かぐらの湯で汗と疲れを癒す。かぐらの湯の正面には青銅の大きな「かぐら踊りと湯釜」がある。これは遠山郷一帯で行われる霜月祭りの湯かけ神事の一場面という。旧暦12月は太陽の力が弱まり生命力も弱まると信じられていて煮えたぎる湯を掛け合うことで生命力の再生を願ったと言う。奇祭で国の重要無形民族文化財である。下栗の里も霜月祭りは行われている。
2013.7.20-22 同行者 井原・小倉・宮本各氏 |
|
|
|