御嶽山(3067㍍)

期間:2014年7月20日(日)~21日(月祝)



報告:渡辺

 平年ならば7月の20日前後には明けているが、今年の梅雨は中々明けない。梅雨明けを期待して19日の夜10時に水戸を出て、木曽の田の原を目指した。 木曽の山中に入るのは、今回3回目である。最初は昭和39年9月27日、夜行で名古屋に向かい翌朝、木曽福島から王滝村役場までバスで行き、ここから王滝川を遡上して濁川温泉まで行った。本来は上松営林署の森林鉄道を利用して行く予定で乗車許可書までとっていたのであるが、台風20号の被害が大きく、歩くことを余儀なくされたのである。森林鉄道の軌道を延々と歩いた。沢を渡ったり尾根を越えたりの難行であったが楽しい山行で最深部の三浦ダムまで行き、帰りは森林鉄道で帰ってきた。その思い出の濁川温泉は、昭和54年10月28日王滝村を震源とするM6.8の地震と御嶽山噴火の土石流で流され、跡形もなくなってしまったという悲しい思い出もある。

木曽谷と濁川温泉の位置

濁川温泉の登山道

在りし日の濁川温泉

 2度目は、昭和45年7月18-20日の木曽路をめぐる旅で、ついでに木曽の御嶽山を登ろうという魂胆でスピード登山をした。登山のコースは黒沢口からと記憶しているが定かでない。天罰が下って、高山病にかかり頂上直下で動けなくなり頂上を極めることができなかった苦い経験がある。そんなことからリベンジしたく今回の御嶽山行きを企画してもらった。 深田久弥は百名山を選ぶに当たって3つの基準を持っていたと言われている。1つは「山の品格」。誰が見ても立派な山だと感嘆すること、2つ目は「山に歴史」。山の歴史を尊重して、昔から人間との関わり深く崇拝された山頂に祠が祀れている、3つ目は「個性のあること」。山容、現象、伝統など他に無いような個性をもっていること・・・が基準である。木曽の御嶽山は、高さといい裾の広さと言い山の品格を有し、中世時代からの信仰の山で山の歴史は古い、そして個性、3拍子揃った名山である。
 7月20日、午前7時田の原駐車場をつまり7合目を出発する。全山が霊場であるから7合目には大鳥居がある。シラビソやナナカマドの混合林が広がり、緩やかな登りが40分程続くと急にダケカンバの林に植生変わった。8時15分8合目に到着する。キバナシャクナゲが薄黄色の花をつけていた。登山道は石ころの階段状で足の負担は大きい。さらに高度を上げると、左手に雪渓が現われ雪渓の冷気が雲を呼ぶのか霧が湧いてくる。
 午前9時、9合目に着く。ここまで相当の急坂であったが、ここから胸突き八丁である。ゴロゴロした急坂を1時間ばかり格闘すると王滝頂上に到着する。王滝山頂小屋は登山道から見上げると、城郭のように聳えたっている。四方を石垣で囲まれた御嶽神社頂上奥社本宮が祀られている。裏手の奥ノ院から剣ヶ峰が一望できる。昭和54年の惨事となった地獄谷が口を開けている。奥社本宮の左手を抜けると、剣ヶ峰が前方に望め、八丁ダルミの急坂が最後の試練を愉しむかのように待ち受けている。

田の原登山口 前方御嶽山

王滝頂上山荘

王滝頂上御嶽神社

 御神火祭場のある広い岩原を喘ぎ喘ぎ登りきり、数件の山小屋が狭い山頂にひな壇上に建ち並ぶ、その宿の間を縫って最後の階段を上ると、御嶽神社である。御嶽山最高峰剣ヶ峰3067㍍に11時到着する。ここが45年前に頂上寸前でダウンした場所なのかと思うと感慨一入である。45年ぶりのリベンジを果たした。11時30分奥ノ院を後にしてお鉢回りに出る。一の池をぐるっと取り囲む外輪は怪獣の背のようにギザギザしている。途中には○○童子という石碑がたくさん祀られていて霊場だと実感した。

剣ヶ峰山頂を望む

八丁ダルミから王滝頂上

剣ヶ峰御嶽神社奥ノ院

 御嶽を開いた覚明と普寛は、死後の安住の地を御嶽山と定め、死後、霊魂は御嶽に帰ることをうたい残している。また御嶽を信仰する者は、死後その霊魂は童子としてお山に引する独自の信仰感は次第に一般信者に浸透して行き霊神碑の建立が盛んになった。(王滝村発行「王滝村の森と自然」引用) 剣ヶ峰を出て1時間半、継母岳、摩利支天などを展望しながら午後1時、二の池の奥にある二の池新館に入る。途中の岩原にはガンコーランやコイワカガミ、ツガザクラ、アオノツメクサなどの高山植物は花を見せてくれた。
 二の池小屋は風呂がある。一番先に小屋に入った特権で一番風呂に入れてもらった。3千㍍近いところでの風呂三昧を堪能して恒例の酒盛りとした。ビール、酒、酎ハイ、ウイスキー何でもありの酒宴であるが、高所での飲酒はすぐに酔いが回る。6時には夕飯も終わり、床に就くと疲れもあって爆睡である。夜中に稲妻が走り、雨が屋根をひとしきり打つ。

御来光と雲海

高山植物 名は?

二の池新館

 7月21日、午前4時半起床する。雨を心配したが、雲がやや厚いものの快晴である。御来光を拝み、6時に小屋を出る。コバルト色に輝く二の池を回り、剣ヶ峰を巻いて午前6時45分雪渓をトラバースし、御神火祭場に戻った。ここでホラ貝の演奏を聴く。7時に王滝頂上を出て只管下り、途中遥拝所で登山の無事を報告し田の原の登山口に9時に帰る。のんびり登山で登り6時間、下り3時間の御嶽山登山であった。目についたのは若い登山客や子供さん連れの家族登山である。

神秘的な二の池

天空の剣ヶ峰頂上山荘

雪渓をトラバース

 南アルプスの南のはずれに聳え立つ御嶽山は、今なお噴煙をあげている独立峰で、平安・鎌倉・室町の中世時代から御嶽独自の山岳信仰が生まれたという。覚明と普寛の両業者によって黒沢口と王滝口が開かれると、御嶽信仰が全国的な信仰?と拡大した。実際白装束の講中の信者がたくさん登山していた。死後の安息をお山に求める信仰感から王滝口、黒沢口の登山道には2万基を超える霊神碑が林立していると言われる。(前述引用)確かに玉垣に囲まれたものや何の飾りもない石碑などが至る所に見られる。
 御嶽山は主峰剣ヶ峰を取り囲むように継母岳、摩利支天山、飛騨頂上、継子岳からなる連峰で、山上には五つの池あり回遊ができる。広大な山麓を有するから遠くから眺めるとどっしりとしていて一目で木曽の御嶽山と分かる。

参考 王滝村発行 王滝村の森と自然
    王滝村発行 まさか王滝に -長野県西部地震の記録

費用 17000円
2014.7.20-21
同行者 宮本、小倉、竹村各氏


御嶽山登山写真集(2014.7.20-21)


登山道

大黒天

王滝頂上の石垣

王滝頂上御嶽神社

御神火祭場

リンドウ

王滝頂上

7合目遥拝所

名湯 駒の湯

8合目避難小屋

8合目からの雪渓

王滝頂上 噴気




トップに戻る      山行記録に戻る