七面山(1982m)

期間:2014年3月21日(祝金)~22日(土)



報告:渡辺

 水戸藩の初代藩主頼房公の母親は、家康の側室お萬の方である。お萬の方は、羽衣の滝に打たれ精進潔斎を重ねて七面山に登られ、女人禁制を解かれた。昨年の夏北岳縦走の帰り赤沢の宿を見学した折に、宿場の人に水戸から来たと言ったら、「お萬の方を知っているね」と聞かれた。残念ながら浅学非才知らなかった。早速、光圀伝を読んでお萬の方を理解したそんな経緯があって、この七面山に興味を持ったのである。
 3月21日、水戸を午前3時30分に発ち、上野原で松崎さんを拾い山梨県早川町の角瀬のタクシー乗り場に8時30分着く。ここから乗合タクシーで表山道に行く。羽衣の滝は雪解け水のせいか轟々と流れ落ち、滝口のお萬の方の銅像を濡らしている。

羽衣橋と白糸の滝

登詣路入口の案内図

 9時、山門を潜り登山を開始する。天気快晴、やや風あり。杉や檜の木立のなか参道はよく手入れされている。約1時間で肝心坊に着く。ここの山道は参道であるが道標は「丁」で表示されている。敬慎院が50丁目にあたる。

我々も登詣路(表参道)を辿る苦行の旅へ出発

 肝心坊から九十九折の山道は更に急坂となる。標高差1300mあるのだから当然だが、道程は修業である。道中あちこちに仏の教えを記す看板?が立ててあり、それを読むと何だか力を頂いた気分になる。 19丁目あたりから雪に足をとられ始める。20丁目になると富士山が左手に見え隠れし、右手下に赤沢の宿が睥睨できる。26丁目からは雪が山肌の斜面に表れ、空はにわかに雲が張りちらちら白いものが降りてきた。

肝心坊の休憩舎

登詣路から望む『赤沢宿』集落

30丁目でアイゼンをつける。36丁目からは参道はテカテカに凍ってアイゼンなしは危険であるが、荒縄を靴に巻いた豪の者がいた。

アイゼンを装着しなければ七面山敬慎院まで行けない!

喘ぎ喘ぎ、アイゼンの歯を一歩一歩立てて丁目を加えて行くと、46丁目にひと際目を引く朱色の鮮やかな和光門が迎えてくれた。付近では若いお坊さんたちがスコップ片手に雪かきに汗を流している。積雪はゆうに1m超2mはある。山門を潜ると、おそらく灯篭が両側に立ち並んでいるのだろうが、雪に埋もれて笠の部分がちょこんと出ていて計算されない造形美を見せてくれる。
井原さんが鐘楼で無事の感謝をこめて「ごお~ん」と一突き、南無妙法蓮華経。最後の急坂を登ると、視界がぱっと開け雄大な富士のお山が目に入ってくる。午後2時20分約5時間の表参道からの登山である。眼下には身延のお山が、右手には駿河湾から沼津の千本松原や伊豆半島が俯瞰でき、正面日本一の富士の山、左に大菩薩嶺、秩父の山並が展開する素晴らしいビューポイントである。

敬慎院直下の「和光門」

御坊たちの道普請で使用のツルハシ

大正10年に完成した随身門が広場にある。ご来光遥拝所である。春と秋の彼岸に起こるダイヤモンド富士は、ご来光が富士の頂から上がると、随身門を通り敬慎院を抜けて釈迦堂に至るといわれている。右大臣、左大臣を安置した二間半の大きな門である。富士山の位置とご来光の速度、高さを計算して随身門を立てた匠の巧の高さに感嘆した。いよいよ50丁目、敬慎院である。随身門から本来は石段であろうが、雪に埋まって坂道状態である。東向きに富士山に向かって建てられており、創建270年と説明を受けた。七面造りといわれる独特の様式である。千鳥破風や唐破風(入母屋破風?)、桧皮葺が荘厳さと重厚さを見せている。七曜紋や注連縄がかかっている。

七面山敬慎院「随身門」

随身門前の富士山展望台にて記念撮影

七面山敬慎院敷地内の残雪

 敬慎院に到着すると、宿坊の玄関に3人の坊さんが「ウエルカム」の挨拶にびっくりする。にこやかで物腰やわらかく弁舌さわやかである。七面大明神や敬慎院のさわりを説明してくれた。今夜の宿である。大広間の玄関に入ると、若い坊さんたちがホテルのポーター並にリュックやストックを部屋まで運んでくれた。宿坊は千人ほどが泊まれるという。風呂もある。

寒空の寺外にて我々登詣者を、親切な言葉と態度で迎えてくれる高僧の方々

宿代は、御開扉2000円、参籠志納証3200円計5200円、食事は精進料理にグループ毎に般若が1本(お銚子と言っちゃいけない?)出る。随意で祈祷を申し込む事が出来る。御開扉を修めるとご開帳祈祷が午後6時半から七面大明神の前で行われ参加でき、祈祷をお願いすると午後7時から七面山本社の大講堂で別当を含め14人の僧侶による大読経が行われる。南無妙法蓮華経の読経とあわせてウチワ太鼓を打つこともできる。那珂湊七面山教会の納めた大提灯があって感激した。

夕食膳(寺の精進料理)

味噌汁を運んできた『木桶』

 祈祷が終ると、お釈迦さまのお骨が祀られている仏舎利と釈迦堂、お萬の方や大岡越前守母親が奉納した鏡、敬慎院を開いた日朗上人真筆の「南無妙法蓮華経」、大明神の爪といわれる「化石」を案内してくれる。消灯は9時。布団は7人が一緒の大布団、湯たんぽは自由である。泊りは7~80人であろう。風呂は3人ほどの大きさであるから千人も泊まるときはどうなるのか要らぬ心配をした。お坊さんたちの奉仕の精神は商売としている接客業に見習わせたいほどの徹底振りである。

随身門を額縁にした夕日のモルゲンロートに映える霊峰富士

 3月22日 午前5時30分起床、身震いするほどの寒気である。有りったけの防寒衣を身に纏い、ダイヤモンド富士を見るため外に出る。快晴、無風、仏の功徳か日頃の善行か。私を除いて男3人は早起きして七面山の頂上を目指したが、登山道がアイスバーンで装備が足らず勇断を持って引き返してきた。普段はこの節、遥拝所は信者でいっぱいになるという。例年にない大雪で遠慮されたのか、幸いなのか、多くの人出でないことがダイヤモンド富士を観賞するのによかった。
 日の出は5時47分、すでに東の空は赤く染まり出し、蒼穹の広がりである。5時47分の日の出から始まった天体ショー、6時5分に向かって左の肩に太陽が顔を出すと5分足らずで富士山のてっぺんに眩しいばかりの旭日が光り輝き、まさにダイヤモンドの輝きとなった。天頂に輝くとその光は、随身門を通って七面山本社の千鳥破風左(向かって)に枡形の光りを映し出す。この彼岸の3日間のいずれかに破風の中心に光は抜けて行くという。

さあー!今年初の“ダイヤモンド富士”だ!

随身門を額縁に“ダイヤモンド富士”を仰ぐ

22日の朝餉

 晴れ渡った天気は、昨夜のご加護か感謝する。帰りは北参道であるが、宿坊のお坊さんが北参道は除雪していないので危険であるから入らないでという。例年は1m位の積雪であるが、今年は2月の大雪が一晩に1m半くらいあった。そのため現在のような状況であるからと説明してくれた。しかしいける所まで行ってダメなら戻ろうという山の掟を破るような野心を抱いて下山する。途中、雪道を400m下って神木といわれる「イチイ」の大木をお参りする。しかし、奥の院に行く周回道路が雪に埋まって全然分らない。井原さんと松崎さんがGPSを頼りにコースを探索して、雪山を数十分さまよい影嚮石と奥の院に出る。

七面山の大イチイの木

七面山奥ノ院本殿

 午前9時、奥の院の脇を回って北参道の下りに本格的に入る。出だしは除雪されていたが、それも数百メートルの距離で、あとは締った雪道となった。北参道も50丁の下りとなるが雪が深く道標が埋まっていて最初は何丁目か分らなかった。雨畑と明浄坊との分岐で休憩する。そこからは木立越しに真っ白な高峰が見えた。鳳凰三山、仙丈岳、北岳なのか地図やコンパスを出して暫し議論するが判断を決めかねた。9時45分 明浄坊に到着する。大沢崩れを正面に見据えた富士山を見る。ここからの富士は荒々しく男性的に見える。水場がある。北参道も50丁であるが、距離は表より長い。雑木林やゴヨウツツジの林を抜ける開けたコースで表より楽しみはある。午前10時45分、栃之木安住坊に到着する。日朗上人がお手植したと伝えられる「栃の木」がある。2月の大雪で枝が折れて回りの水場や作業小屋を壊した。

奥ノ院より裏(北)参道を辿り下山の途に!

途中の安住坊

安住坊の大トチノ木

栃之木安住坊は19丁目であったが、まだ雪が残っていて13丁目までアイゼンの世話になる。久し振りのアイゼン接着で膝の腱が痛み出しストック便りにゆっくりゆっくり下り、神通坊に到着は午後0時45分である。
 表参道は参詣道でいたるところに御仏の教えが表示板に記されているが、北参道はお休み所に幟があるだけで登山道という感じである。全体的な印象は山全体が修業の場で登っている最中も下っている最中も霊験を体に感じていた。このお山での挨拶は「ごくろうさん」といい、思いやりと感謝々の気持ちをもって楽しむお山であると思う。

裏(北)参道登山口の大鳥居

神通坊入口にある「七面山北参道 是より四十八丁」の石碑

 言い忘れたがお坊のあちこちにヒル除けのスプレーが置いてあったので暖かくなっての登山にはヒル除け(食塩でもよい)や防護を心がけてください。

2014.3.21-22 同行者―宮本・井原・村越(智)・松崎各氏



    


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