伊吹山(1377m)
長浜市内・観音信仰・福井一乗谷朝倉遺構・金沢・石川門 兼六園
期間:2015年7月11日(土)~13日(月) |
米原駅で長浜行きの乗り換えをホームにいた女性に尋ねたら、同じく長浜に行くということでご一緒することになった。世間話をする中で、その女性がどちらからと質問してきた。私が「茨城です」と答えると、私もですとのことにびっくりした。さらにお互いの出身地を聞いていたら、私の主人は「久慈浜」ですとの答え、「えっえ」と開いた口がしばらく閉じない。こんな摩訶不思議な出会いが伊吹山登山のスタートである。
7月11日
長浜駅は日本最古の駅舎である旧長浜駅を模した興味のある駅舎である。長浜は鉄道と水運の中継地で栄えた町で、最古の旧駅舎があっても不思議でない。切符売り場の上部に今日からのナビゲーターである友人のご子息である光雄君制作の長浜案内図が掲げられている。光雄君は、長浜再生事業の「黒壁町並み再生」の担当者である。長浜は湖岸に秀吉の構築した長浜城があったが、現在は外観が鉄筋コンクリート造りの城、中身は歴史資料館である。町の中心にある大通寺の門前町と黒壁通りと言われる商店街が繁華街である。
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大通寺 門前 |
三谷旅館 右端上部 ウタツ |
uraQro 通り |
黒壁通りは「ウダツ」がかかり、高山の三之町に似た雰囲気を醸し出している。長浜は秀吉が城を築いたこと、石田三成・片桐且元出生の地、織田・徳川連合軍と朝倉・浅井との姉川の合戦場、秀吉が天下を取った賤ヶ岳の古戦場など過去と現代の対話の舞台がたくさん詰まっている。さらに浄土宗(真宗)の信仰厚く各地域に古刹名刹が点在し観音信仰が盛んである。湖北の集落は、その影響が色濃く反映されて、広々と広がる田畑の山裾に大きな屋根を持つ寺社を中心に集落が形成されていて、浮島のように映りその景色は墨絵のように美しい。北には賤ヶ岳、小谷山、山本山が控え、米原と接するところには横山が屏風の如く横たわる天下の要衝である。そして市街の真っただ中を北国街道が縦貫している
塩津の宿場で北國街道の一端を垣間見て湖北の菅浦へ行く。道端でお茶飲み話をしていた老女は、琵琶湖を「海」と呼んでいた。ここに須賀神社がある。奈良時代に恵美押勝の乱で廃位になった淳仁天皇が住んでいたという伝説が残っている。須賀神社の裏山に天皇の御陵と言われる塚があり、須賀神社へお参りするときは素足である。安相寺は浅井長政由縁の寺で小谷で落城の際、浅井長政の次男を匿ったという寺である。菅浦は争いが絶えなかったそうで、東西南北の出入り口に茅葺屋根の四足門がある。左右非対称で支えの石を取り外すと門が倒れる仕組みで茅葺屋根に火をつけて敵襲を伝える狼煙のような役割である。菅浦は集落に入った途端、時間が止まっているのではないかと思うほど静かでのんびりしている。湖水を眺めると、ちいさな魚が群れをなし、湖面の先には竹生島が横たわっている。集落のあちこちに「ヤンマー作業所○○番」という小さな小屋がある。近江は日本生命、近江絹糸、近江兄弟社などの創業の地である。ヤンマーもしかりで創業者の山岡孫吉は、郷土愛に燃え、湖北に多くの工場を置き雇用に大いに貢献した。作業小屋は仕事のない時期に仕事ができるようにとの孫吉の考えが具現化したものだ。菅浦の集落は至る所に石を積み上げた石塀が家の前についている。昔はそこまで湖水が上がったそうで、現在は築堤されてその用もなさそうである。
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菅浦の集落 |
四足門 |
須賀神社 淳仁天皇の御陵 |
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菅浦の湖岸 |
ヤンマー作業小屋 |
南の四足門から菅浦の集落 |
木之本町の古橋集落に向かう。国重要文化財に指定されている鶏足寺の十一面観音菩薩は、山上にあった鶏足寺の秘仏を村人が山から下ろして保存した。己高閣に保管されている。集落の畑の中を15分ばかり山の中に入ると、亀山の茶畑が広がり、その先にモミジの木立が立ち並ぶ石段が続き鶏足寺に至る。近くの石道寺にも国重要文化財の十一面観音菩薩があるが、拝観時間がすぎて叶わなかった。長浜は、灌漑技術の優れた街で至る所に「水」を使った文化が残されていて古橋の集落も各戸に用水が引き込まれ、水屋が作られている。
今宵の泊りは大通寺の近くの三谷旅館で町屋を宿に改装したもので黒壁再生事業の一端である。
長浜は年間の入込客は180万から200万だそうで、繁華街は昼間大勢の人々で大いに賑わうが、夕方(午後7時)になると商店街は灯を落とし商店街を歩いている人がほとんどいないのにびっくりした。蕎麦屋(みたに)でおいしい酒と鮎(唐揚げ、一夜干し、塩焼など)の夕食を取り明日の伊吹山登山に備えた。
7月12日
伊吹山は、古くから薬草の山と知られ、オオヨモギを原料とする「伊吹もぐさ」はよく知られている。自生する植物約1300種のうち280種が薬用植物である。山麓から頂上にかけての斜面は、江戸時代から昭和30年ごろまで地元の人々によって草刈りが行われており、薬用植物の保存に人の手が加えられている。長浜から見える伊吹山は、どっしりとして相撲取りが仕切りをしているような形に見えなくもない。午前5時、上野集落の三ノ宮神社の登山口をスタートする。伊吹山は石灰の山であり、セメント用原料の運び出しのベルトコンベヤーが長蛇の如く伸びていて、日立セメントと同じ光景である。登山道は、石灰岩がごろごろと露出している。1合目に「ひろきち地蔵」が祀られ、杉やシイ、カシ類の混成林が2合目まで続く。スキー場を過ぎると、森林限界で梅雨の晴れ間のカンカン照りが否応なく注いでくる。3合目に鹿よけの柵の中でユースゲが満開である。グンナイフーロ、クサフジ、カワラナデシコなども咲いていた。3合目からは頂上まで見渡せ、5合目以降の九十九折の登山道は這いつくばるかのような登山客がはっきり見て取れる。6合目の避難小屋を7時45分に通過する。6合目からはやや登りがきつくなって7合目からは胸突き8丁である。登山道一帯はオオヨモギの群生で、その中にシモツケソウやイブキトラノオが、そしてカワラナデシコの可憐な花が疲れを癒してくれる。9時頂上に到着する。広い大地で四国の剣山の頂上に似ている。本来なら、頂上一面が美しい植物で彩られているはずだったが2週間ばかり早かったようだ。それでも茶店の近くでシモツケソウ、ミヤマコアザミ、ニッコウキスゲ、シャジャンなど伊吹の花の片りんをみた。頂上の展望はあいにくのガスで御嶽、白山、乗鞍、北アルプスの山々は拝めなかった。10時に下山開始する。9合目から下界を見下ろすと、琵琶湖のはるかかなたの雲間にブナ岳が浮かび、長浜の街が俯瞰でき、左手に関ヶ原の古戦場がひろがっている。丸見えの登山道は長蛇の登山客である。午後12時30分登山口に戻る。
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上野口登山口 |
スキー場から |
3合目ユースゲの群生 |
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はて 何の花? |
カワラナデシコ |
クサフジ |
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行導岩 真ん中にお堂がある |
伊吹山頂上 ヤマトタケル |
頂上の風景 |
山から下りて、賤ヶ岳古戦場の南方に湖北平野を区切るように湧出山(ゆるぎ)がある。その南麓に杉木立に囲まれた寺社がある。寺社を中心に集落が広がっている。日枝神社・唐喜山赤後寺(からきさんせきごうじ)神仏混合の境内である。高く積み上げられた石垣、豪壮な赤後寺、絢爛たる日枝神社を住民は守り続けている。御本尊は、聖観音立像、千手観音立像で、戦火があるたびに住民は川に沈めたり、田んぼに埋めたりして1200年前の端麗な容姿を護ってきた。ここの観音様は「コロリ」観音としても名が知られている
琵琶湖は誰でも知っているだろうが、余呉湖はどうだろうか。琵琶湖の北のはずれで滋賀県と福井県の県境に近い。琵琶湖より湖面が50m高く、琵琶湖からポンプアップして水を入れ、ここから長浜一帯の田畑や水道に給水している。ここにも灌漑技術が発揮されている。余呉湖の奥まったところが今宵の宿「徳山鮓である。泊り客は一日2組しかとらないという異色の宿で、メインは余呉湖で獲れるうなぎ、鯉、フナ、ナマズ、鮎、モロコ、山菜、鹿、熊などを乳酸発酵食品として提供する名店である。余呉湖を借景に落ち着いたしっとりした宿である。余呉は寒暖の差が激しいため「発酵」に適していると説明をうけた。
夕食のメニュー ①サバのなれずしにトマトのピュウレ②ウナギの湯引き③鹿肉の胡麻和え④天然ウナギの蒲焼⑤鮎の酢漬けと飯めし⑥熊肉と琵琶マス⑦カラスミ(自家製)フナズシ・フナツメパン⑧山菜の天ぷら(ユキノシタ、カンゾウ、ヤマウド、クサギ)⑨鮎の姿塩焼⑩〆のスッポンの雑炊⑪イイメシのアイスクリーム
翌日の朝食①チアユの釜揚げ②岩床ナマズのミソ汁③鹿肉の茶わん蒸し④コアユの佃煮⑤山菜の酢漬け
すべての食材が美味しかったが、我々が概念としている「鮨」ではなく、乳酸発酵そのものの「鮓」である。イイメシのアイスクリームはレアチーズのような美味である。
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徳山鮓 |
サバのなれ鮓トマトピューレ |
天然ウナギの蒲焼 |
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余呉湖の形をした器 鮎姿焼き |
カラスミ フナのなれ鮓他 |
余呉湖全景 |
7月13日
ここでお世話になった光雄・美穂様ご夫妻と分かれ、北陸道を使って一乗谷へ向かう。一乗谷は、福井市街から東南10キロのところで九頭竜川の支流一乗谷川にそって城下町が構築されていた。戦国時代に越前の国を支配していた戦国大名の朝倉氏の居城が一乗谷城(山城)と山麓の城下町で構成され、一乗谷の南北に城戸を設け、その間1.7キロの「城戸ノ内」に朝倉館、侍屋敷、職人、寺院、商人屋敷が計画的に整備された道路の両面に建ち並び、日本有数の城下町を形成している。凡そ8千から一万人が住んでいたと推測されている。この遺跡は耕地整理の工事で偶然に町並み遺構が発見され、平成7年町並みが復元された。さらに平面復元地区が保存管理されている。朝倉館は昭和の初めごろから発掘されていたが、管理が悪く草茫々としていたが、町並み復元に合わせて手入れがされるようになった。福井の観光地は永平寺と東尋坊が有名であるが、この朝倉遺跡は一見の価値がある。
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一乗谷朝倉遺跡 館跡 |
朝倉5代義景の墓 |
復元城下町 |
午後、金沢に到着する。兼六園と前田12代奥方のために造営された成巽(せいそん)閣を見学し、石川門から広大な金沢城公園を散策して近江町市場に、午後4時38分発東京行き北陸新幹線で東京へ戻り、7時70分発の電鉄のバスで家路につく。
今回の山旅と長浜歴史探訪では光雄・美穂様ご夫妻に企画から切符の手配まで大変お世話になり感謝しています。有難うございました。
交通手段 電鉄高速バス 日立―東京
東海道新幹線―米原―前原
市内観光 レンタカー
北陸道 余呉―福井(一乗谷)―金沢西
北陸新幹線 金沢―東京
電鉄高速バス 東京―日立
伊吹山・長浜・余呉・一乗谷朝倉遺跡・金沢兼六園他写真集 |
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光雄君作成駅の案内図 |
三谷旅館の通り |
昼に食べた焼きサバソーメン |
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菅浦の集落と石積み |
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古橋集落案内図 |
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伊吹山3合目 |
イブキジャコウソウ |
カワラナデシコ |
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マツムシソウ |
何の花か? |
イブキトラノオ |
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ミヤマコアザミ |
ニッコウキスゲ |
イブキトラノオ |
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シシウドに似てるが さて? |
シモツケソウ |
シモツケソウ拡大 |
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はて・・・ |
イブキエンドウ? |
オオバギボウシ |
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徳山酢 朝食 |
朝倉遺跡の掘割 |
復元武家屋敷 |
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金沢城本丸空堀 |
金沢城二の丸 |
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