種子島探訪の旅

期間:2015年4月12日(日)~15日(水)



報告:渡辺

 遠い昔の思い出がたくさん詰まっている種子島に旅をしようと言い出したのは春夫さんであった。10代の青春時代に種子島に数か月滞在して、人生を鍛練した島である。春夫さん夫妻とは山の仲間で、3年前に小笠原へご一緒し、次はどこか離島へ旅しようと話したその時の実現である。幾つかの低気圧が日本列島に接近して不安定な天候である。4月12日深夜、江戸崎経由で成田に着く。供用開始したばかりの第3ターミナルが出発の地である。下地がむき出した無機質な建物には早朝にもかかわらず大勢の搭乗者・利用者で賑わっている。
LCC ジェツトスター7:40発鹿児島空港着9:40。飛行機は途中揺れたり、着陸時にバウンドしたりした。桜島は雲の上に噴煙を吹き上げている。曇り空で風が強く船旅が心配になった。鹿児島南埠頭のショッピングセンターで黑豚丼を食べ、トッピー(高速船)で種子島の西之表港に入る。途中うねりがあって冷や冷やし、障害物(クジラ?)にあたって波間に漂うなど旅の思い出を1つ付加えてくれた。
種子島ってどんな所? 佐多岬から43キロ、人口3万人強、面積445k㎡、周囲170km、全長57km、一番高い山282m、ハブはいないがマムシはいる、イノシシはいないが鹿はいる。そんな島である。種子島の予備知識は、鉄砲伝来の地、サツマイモ栽培、ロケット発射場、テーブル状の島程度である。しかし、島に入ってみると歴史がぎっしり詰まっている。

鹿児島港のホッピー

 4月12日 種子島探訪1日目
 風はややあり雨時より曇り 夕方薄日射す種子島は、平清盛のひ孫平信基が興した種子島家が治めており、東南アジアや中国貿易の中継基地として重要な役割を果たしていた。その為財政は豊かで鉄砲伝来の時代には7千両も保有していたという。赤尾木城が西之表港の小高いところにあった。今は石垣が往時を偲ばす程度で城の跡は中学校になっている。城郭の一角に鉄砲館がある。鉄砲伝来は1543年(天文12年)8月25日、島の南端門倉岬にポルトガル人を乗せた明国船が漂着する。我々はポルトガル船と思っていたが実際は明国船であった。14代種子島時尭は2千両で鉄砲2丁を買った。鍛冶師矢板金兵衛に鉄砲を、火薬の製法を篠川小四郎に学ばせ、1年で国産に成功した。成功の裏には金兵衛の娘「わかさ」の孝行(残酷)話がある。金兵衛は銃底にある雌ネジの製法が分からず苦労した。その苦労を見ていたわかさがポルトガル人と結婚してネジ製法の技術を盗み、帰国したという悲話である。それにしても殿様が金を惜しみ鉄砲を手に入れていなかったら歴史はどうなっていただろうか。長篠の戦いも信長の天下もなかったかも知れない。種子島固有の動物は「ウシウマ」である。タテガミがなく、尻尾が短く、大きさは生まれたばかりの仔馬くらいである。残念なことに昭和21年に絶滅してしまった。ゾウがいた。さらに縄文土器や人骨がたくさん出土されている。また地層が東の地域では左が低く右上がりで、西の地域ではその逆になっている。隆起した時間の経過が断層からはっきりと見て取れる。伝統工芸は種子鋏である。1543年の鉄砲伝来のときにポルトガル人と一緒に同船していた中国人の鋏鍛冶によって伝えられたと言われ、日本刀つくりの技法を取り入れた我が国初の中間支点式の鋏で、今でも昔ながらの製法で作られている鋏がある(大量生産品もある)。植生は亜熱帯気候だから葉っぱに艶があり緑濃いものが多く月桃、クワズ芋などが典型的で、樹木ではアコウ、マングローブ、ガジュマルなど気根が垂れるものがあちこちで見られる。アコウは気根を幹に巻き付けて成長するものもあり、まさに自縄自縛そのもので種子島飛行場にある。ソテツも特徴である。気温は平均19度、種子島の「種」はイネを表すという。サツマイモは青木昆陽が有名であるが、島ではその以前から栽培されていた。
 種子島家の始祖は平清盛のひ孫平信基で、累代の墓が本源寺・栖林神社の境内に祀られている。

絶滅したウシウマ

鉄砲を構えるマサタカさん

種子島家の墓所

今宵の宿は、千座の岩屋や熊野海岸の近くにある「島宿HOPO」である。瀟洒なペンションである。地産池消(安納黒豚、地の野菜、インギー鶏の刺身、トビウオの唐揚げなど)の食材てんこ盛りに地元の焼酎で種子島を満喫した。ここは連泊である。近くに温泉がありそこを利用した。昔は宿泊施設だったらしく、春夫さんは自分が泊まった宿であったと記憶を覚醒させた。この度の目的の一つを叶えた。

4月13日 晴れ風やや強
 宿から近い千座の岩屋を見物する。浜田の海水浴場一帯の海岸絶壁が波に浸食されてできた岩屋で千人が座れると言われることから千座と名付けられた。 今日の予定は、マングローブ林に漕ぎいれるカヤックとシュノーケルでのサンゴ見物である。大浦川は緩やかな流れで海岸から上流までの距離はさほどなく汐の出入りが激しい。その潮流を利用してマングローブは成長するという。塩分の濃い川口や下流域は成長が遅く背が低い、中流域からは背が高く幹も太くなってくる。最上流域の塩分が切れるところになるとマングローブ林が目でわるように消えてくる。林の中にはシオマネキ、ガザミ、干潟にはトビハゼ、カニ類がいる。また岸辺のいたるところにカニ箱、うなぎの仕掛けがかかっている。カヤックは思っていたほどに難しくなく自由に操ることができた。
 シュノーケルは、ロケット発射場の近くの竹崎海岸である。うねりがあって不安であったが乗った舟は船頭まかせである。小笠原島で経験はあるものの波もあって自信はない。フロートにつかまって沖合に泳ぎ出したが、波が来るとついつい口を開けてしまい海水を飲み込んでしまう。やっとの思いで(死ぬ思い?)サンゴ礁を見て早々に引き揚げてくる。白っぽいサンゴであったがもう少し行けば赤サンゴは見られるところであった。この年になって2度もシュノーケルができた。
 門倉岬の鉄砲伝来の地に行く。種子島の最南端で波頭打ち寄せる断崖絶壁の岬である。雲間から屋久島のどっしりした姿が眺められた。西日を背にした屋久島は黒々と浮かびあがって永田岳?2千m近い屋久島の山々が怪獣の背のように見えた。日本に初めて足跡をしるしたポルトガル人の上陸地は断崖の下である。種子島では後年イギリス商船も難破して乗員を救助している。その時のお礼にニワトリが贈られたといい、イギリスと発音ができず「インギー」と発音されて、島の名物食材のインギー鶏になっている。ニワトリは島外持ち出し禁止である。

千座の岩屋

門倉岬のポルトガル人上陸地

門倉岬

4月14日 晴れ
 ロケット発射場の見学である。島の東側のはずれに関連施設が点在している。宇宙開発事業団の管理敷地に入ると、監視カメラが至る所についている。手入れの行き届いた公園の中に宇宙科学技術館がある。公園にはH-Ⅱの天に向かうロケットや横に展示されているロケットが興味をそそる。港の近くにはロケット打ち上げ時にお馴染みの報道機関の観覧席がある。岩をくりぬいたような建物(竹崎展望台)は遠目に見ると異様である。技術館にはロケットの歴史がぎっしり詰まっている。大崎第一事業所は打ち上げが中止されたH-Ⅱロケット7号機が展示されている。全長50m、重量260トンの巨大である。燃料は液体で、冷却するために特殊な冷却材を吹き付けている。表面はザラザラ、色は冷却材が変色して赤くなったものである。直径は4mで大型バスがすっぽり入ってしまう大きさである。先端の人工衛星を保護している素材(フェアリング)は、小さな蜂の巣をつなぎ合わせた薄いものでビックリするほどの薄さである。打ち上げ後のロケットの残骸は小笠原周辺で回収されるという。ロケットは島外で作られ、島間の港に陸揚げされセンターまで運ばれて来て組立建物で組立てられる。2基を同時に組み立てることができる。建物の大きさは高さ80mとか。引違の扉は世界一の大きさでギネスに登録された。ここから運搬車で発射台に運ばれる。発射の時にいつも不思議に思っていたが、二本の高い鉄塔は避雷針(兼気象観測)だそうだ。発射台の下は大きな穴が掘られていて発射の衝撃を吸収する。発射の時は3キロ以内立ち入り禁止である。総合指令棟は20人が入れる程度の大きさで打ち上げに関する指令管制を行う場所であるが、想像していたより小規模であった。カウントダウンは射場で行い、追尾管制はつくばのJAXAである。

H-Ⅱの実物大模型

7号機壱段目底部

組立建屋

避雷針の役目 鉄塔

総合指令棟

 午後から島内の見学をする。坂井神社の大ソテツ、境内に二本のソテツがある。鉄分を与えると命がよみがえることから「蘇鉄」と名付けられた。見事である。近くに島内の宗教争いを収めた日良上人のゆかりの矢止石がある。さらに国の重要文化財建造物「古市住宅」がある。棟札から江戸時代の末期に建てられたことが分かった。L字型で座敷部と土間部から成り立っている簡素な建物である。自然の災害に対応するため骨材はタブなどのがっしりした材料を使って、床柱はマキを使用している。土台と柄の間に銅板を挟みシロアリや水気を防いでいる。周囲にはいろいろな樹木が植えられている。バクチの木には驚いた。木肌を自ら剥がして終には枯れてしまうという。すでに上部は腐りが入っていて名は体を表していた。

坂井神社の大ソテツ

日良法印の矢止石

古内家住宅

 弥生時代に稲作が日本に伝来してきたことは学校で習ったが、種子島が日本最初の稲作の地とは知らなかった。島の南部の宝満神社がルーツである。宝満神社の赤米はジャバニカで、ジャワから東の島嶼部で栽培されていることから南洋から伝播したものと考えられる。因みに日本で赤米が栽培されているのは岡山の総社と対馬であるが宝満と同じものは総社という。赤米の茎は長く1.6~2mにもなり茎永という地名もある。御田植祭や御田、舟田、お田の森など赤米に関する場所が残っている。また宝満池は鴨の投げ網漁でも有名である。種子島の南部は稲作がメインで神社の周囲は300町歩に及ぶ広大な水田が広がっている。種子島はサトウキビとサツマイモが主農産物と認識していたが、稲作が盛んであることは認識不足であった。今宵の宿は「しまざき」である。離れのロッジに泊まることになった。比較的新しい。夕飯はHOPOさんほどの質量ではないが、新もののタケノコやジャガイモ、トビウオの干物など美味しかった。焼酎は南泉である。

宝満神社

舟田

お田の森

4月15日 晴れ風強い
 ロッジの前は太平洋。うねりはあるが白波はない。女将さんがホッピーは条件付きの出港ですよと言ってくれた。最初はぴんと来なかったが、時間が経つとこの重大さに肝を冷やす。船が出ないことにはこの島から出ることができなくなる。予定は11時5分の船である。取り敢えず港に直行して確認すると、やはり条件付きであるという。急ぎ飛行機にと、飛行場へ連絡すると15時50分発が4人空いているという。予約はコールセンターである。電話するがなかなか?がらずイライラする中、飛行場へ向かう。港から飛行場は30分かかる。飛行場について確認すると15時50分は3人しか空いてないという。18時が4人空いているので間髪を入れず予約し帰りの足は確保した。時間はたっぷりある。港と空港を行ったり来たりしているうちに昼も過ぎ、港の近くの食堂で地魚海鮮丼を食う。
 旧赤尾木城の近くにある月窓亭に行く。種子島家の家老であった「羽生家」が200年前に建てたもので、のちに種子島家の居宅となる。一部二階建ての武家屋敷、玄関の座敷は天井が非常に低く刀を抜くことができないように工夫され、階段は急なつくりになっている。庭園は薩摩の武家屋敷に見られるように亜熱帯性の植性や珊瑚垣が特徴である。ところで将棋の羽生名人の先祖が種子島出身であることを分かってました?。マサタカさんが小的弓に挑戦、筋のよいところを見せた。月桃のお茶と安納芋の焼きイモなどを頂戴する。伝統工芸に種子鋏がある。ひげさんの店で牧瀬鍛冶店の手作り鋏を購入する。 風は一段と強さを増している。船便は完全に欠航となり、春夫さんの判断正しかった。島の最北端にある喜志鹿崎灯台に向かう。全長57kmの細長い島の最北端白い灯台と原生林は南の景色とちょっと趣が違った。天気が良ければ佐多岬や開聞岳が見えるはずであるが、風はピューピュー波はドンブラコ、吹き飛ばされそうな風に瞬殺、早々に撤退する。周囲は手つかずの原生林が幾重にも黒々と繁茂している。浦田の港へ回るが、時化のためたくさんの漁船が係留されていた。長い竹竿を数本積んでいたからカジキ漁でもしているのか知りたかったが誰もいなかった。奥神社のアコウの大木は、種子島家のお狩場だったところにある。気根がお化け画の影のように垂れさがり薄気味が悪かった。ヘゴの自生林を見て、針路を太平洋側に回し伊関の港、南風の海岸を経由し、安納イモの産地を通る。太平洋側は風も受けずに穏やかな表情を見せている。島の真ん中を竜骨のような山地が連なっているので、西からの風を防いでいるのだろう。これで種子島全島をほぼ見学・見物した。

月窓亭の階段

月窓亭

タカマサさん

 土地の人に種子島に何日滞在するのと聞かれ、3泊4日と答えるとビックリされた。見るところも多くないのによくも4日間もいるねと言われるが、地産池消の食材と焼酎を味わい、ゆったり時間を愉しみ、風光明媚なところでは足を止め、歴史が詰まっている場所ではじっくりと時間をかけ、カヤックやシュノーケルなどのスポーツも楽しみ、ロケット打ち上げ施設の見学では今まで知らなかったロケット産業を理解することができ、また宝満神社の籤のご宣託のとおり遺失物を取り戻した御仁もいて、濃密な4日間であった。

2015.4.12-15
 同行者 村越夫妻、竹村氏

 4月12日成田発 LCC ジェットスター7:40 鹿児島空港着9:40
          リムジンバスで鹿児島南埠頭11:00着 昼食 黒豚丼
          鹿児島港発 ホッピー13:00 西之表港着14:40
          レンタカー 鉄砲館 宿―HOPO

 4月13日 千座の岩屋・浜田海水浴場 大浦川マングローブ林カヤック漕艇
       竹崎海岸でのシュノーケルサンゴ礁見物 門倉岬 宿―HOPO

 4月14日 宇宙科学技術館ロケット施設見学 村田商店の黒豚島ラーメン
       坂井神社のソテツ 矢止石 古市住宅 宝満神社 赤米館
       舟田・御田・お田の森 宝満池 宿―しまざき別棟

 4月15日 西之表港 飛行場 浦田港 喜志鹿崎灯台 ヘゴの自生林
       奥神社のアコウの大木 伊関港 南風海岸 安納イモ栽培地
       月窓亭 ひげさんの店
       種子島空港18:00鹿児島着18:35 鹿児島発20:15
       成田着22:10 江戸崎―日立着16日1:10


竹崎宇宙科学技術館

門倉岬から屋久島を望む

HOPOのしゃぶしゃぶ

実物大H-Ⅱ模型

H-Ⅱ赤い部分は冷却材塗装

ロケット先端部分ファタリン



    


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