栂池自然公園トレッキング・雨飾山(1962m)・糸魚川散策)

日本秘湯の湯 小谷温泉・雨飾温泉

期間:2016年8月19日(金)~21日(日)



報告:渡辺

 毎年夏になると、憧れの山にワクワクして深夜発ちの早朝登山がほとんどだった。しかし歳を重ねてくると億劫になって来た。そこで今年はゆったり登山を幹事にお願いして、前泊の早朝登山を計画してもらった。8月19日、水戸を午前4時に出発した。小谷村の栂池高原駅に9時半ごろ到着する。総延長5320mのゴンドラとロープウェーを25分乗り継いで、標高1560mの栂池自然園に到着する。天気晴朗心地よい初秋の風が高原を吹き抜けている。自然園の入口に栂池記念館がある。昭和8年白馬館が建設されたといい、平成14年に小谷村が整備、記念館として残した。仲間の藪じいが若いころ、ここに泊まって白馬三山を登山したといい、ひとしきり感慨に浸っていた。自然を周回すると、3~4時間かかる。標高1900~2020mに広がる高層湿原は、4か所あり、最高部に位置する展望湿原からは白馬三山の大パノラマが展望できる。今年は花の開花が早まっているというが、たくさんの高山植物が楽しませてくれた。特にトリカブトとアザミが盛んであった。
栂池高原駅 栂池自然公園入口 栂池ヒュッテ記念館
カラマツソウ  モウセンゴケ 展望湿原 白馬三山 栂の謂れ オオシラビソ

 今夜の宿は、小谷村の山田旅館である。標高850mに建つ当館の江戸期建築の本館を含む6棟は、国の登録有形文化財に指定されており、重厚で風情のある建物である。温泉は「現夢の湯」として親しまれている。日本秘湯の湯の会員でもある。我々は藪じいのお骨折り(食料の買い出し)で天ぷらとソーメンの自炊である日頃厨房に立ったことのない不精な男どもの手料理である。
小谷温泉山田温泉 江戸期建築玄関 本館座敷 現夢の湯

8月20日 雨飾山登山(小谷コース)
 3時起床、宿を4時に出て雨飾山の登山口に40分くらいに到着する。熊に注意の看板を見やりながら登山口を5時に出発する。登山口はキャンプ場もあり、駐車場も整理されている。登山口から足元のしっかりした登山道を下ってゆくと、大海川の広河原に出る。小谷コースは400m毎に標識出ていて、山頂まで4.4キロの道のりである。整備された木道を行くと、2/11の標示板が出てきて、左の尾根に取り付く。木の根坂の急登をすると、3/11の標示板がブナの大木に打ち据えられている。ブナの大木が林立するブナ平を過ぎ、樹林帯の急登を2時間ばかり詰めると、突然、視界が広がり荒菅沢に出る。
雨飾山キャンプ駐車場 登山口 3/11標示板 ブナ平

冷たい水が流れ、一息入れるに良い場所である。前方には山頂部の稜線が立て襖のように広がり、秋雲がゆっくりと流れ、素晴らしい景観はここまでの疲れを癒してくれる。布団菱の岩壁が望める。沢を渡って対岸の尾根に取り付く。樹林帯のなか大きな石を跨ぐ急登が続き、8時35分バテレン峠が望める開けた場所に出る。更に急登が続き、8/11~9/までは三点確保を要する岩峰になる。バテレン峠を抜け笹平下のガレ場を過ぎると笹の生い茂る笹平になる。リンドウ、トリカブト、アザミ、アキノキリンソウなどの花々が最後の命を燃やしているお花畑が広がる。笹平に9時6分到着。前方には雨飾の山頭が睥睨している。お花を愛でながら最後の急登を終えると猫の耳と言われる山頂に9時53分到着する。北峰には江戸時代に名僧が担ぎ上げたと言われる石仏と祠が祀られている。
荒菅沢から布団菱 荒菅沢上の急登 バテレン峠 8/11付近のはしご
笹平分岐 北峰の石仏・祠 南峰三角点 美女に見える輪郭線

南峰には三角点と標柱がある。やや雲は張っているが360度の大パノラマは頂上を極めた者しか味わえない醍醐味である。山頂から笹平を見下ろすと、登山道が女性の顔の輪郭を描いていて中々の美人である。会長は小谷から雨飾温泉に車を回送するため、一足先に山頂を下りた。我々は、山頂を10時50分に出発する。笹平の分岐は11時15分通過する。左に取り梶山新湯(雨飾温泉)を目指す。滑りやすい道を一気に下る。更に樹林帯の中を中の池まで下る(12時27分)。1時間下ったので行程の半分は思ったが、1/3ほどでがっくりする。暫く左へゆるやかに巻いて下ること1時間、一ぷく処の看板に出る(1時37分)。途中、木製のはしごやアルミのはしごを使いながら下ると、赤土小砂利の痩せ尾根に出る。このあたりから五葉松や杉の大木が出始め、幹の間に穴が開いた奇妙なブナを過ぎると、左側がキレ落ちた難所覗きである。2時47分、薬師尾根分岐に着く。ここから雨飾温泉登山口までは20分の表示である。しかし急坂の下りがまだまだ続き、木の根坂や急斜面を下ると梶山薬師が祀られている登山口である。3時15分到着である。案内では2時間50分の所用であるが、休憩を入れて4時間かかった。
梶山新湯分岐 駒ヶ岳を望む 中の池 雨飾山登山口 千代の池

 千代の泉を左に切通しを抜けると雨飾山の懐に抱かれた雨飾温泉の建物が目に入る。明治8年、現地調達の材木を使い建築されたという。天井の梁はどうやって組み上げたかと思うほどの太い丸太である。内湯、外湯の都忘れの湯は日本秘湯の湯で岳人憧れの湯である。今夜の食事は、鶏肉の寄せ鍋で蚊に栄養を与えながらの鍋つつき、〆のうどんは美味しかった。
雨飾山荘 全景 都忘れの湯 内湯

8月21日 糸魚川―帰宅
 7時に、カップのカレーラーメン+切り餅の食事をとって、8時前に宿を発つ。根知の集落にある塩の資料館に寄る。糸魚川から松本まで歩荷や牛を用いて塩を運んだ「塩の道」が残っていて、資料館には往時の用具や資料が保存されている。資料は国指定重要有形民俗文化財である。糸魚川と聞けば、フォッサマグナ(大地の裂け目)と翡翠である。フォッサマグナは糸魚川から静岡県の御前崎まで続く構造線であるとは分かっているが、フォッサマグナとは何ぞやの解明が今日の目的である。資料や説明をうけて理解を深めることはできた。大地の裂け目がフォッサマグナと言われるが、どこにそんな裂け目があって見られるものかと期待したが、裂け目の上には6000mの岩石が積み重なっているという。そしてフォッサマグナには南北方向に火山列があり、新潟焼山、妙高山、黒姫山、飯綱山、八ヶ岳、箱根、天城山、富士山などである。翡翠は、地下の熱、圧、マグマの動き、翡翠を浮き上がらせる軽石など諸々の要素が備わって地上に出てくると言い、糸魚川はそんな環境に適している。翡翠は白色だそうで不純物が入ると緑、青、紫などの色がつくという。翡翠色は緑と観念的に覚えているが、実は白色と聞いて訳が分からなくなった。世界での産出国はミャンマーである。青森の三内丸山遺跡に大きな翡翠の玉がある。翡翠はどうして翡翠の産出しない青森にあったのかという学術的論争があって、結局、糸魚川周辺から交易によってもたらされたと分かった。糸魚川に「長者ヶ原遺跡」があって、そこで翡翠の加工が行われてきたことが分かっている。長者ヶ原考古館を訪ねて縄文文化を垣間見た。糸魚川駅前のお土産店で銘々お土産を買い、和の旬「かんのや」で極上の刺身定食を頂き、12時半、糸魚川に別れを告げて帰途に就く。
山荘 天井の梁 ふりむき峠 塩の道 資料館 資料館
フォッサマグナミュージアム 産業用蒸気機関車 糸魚川での刺身定食 食事処

2016.8.19-21
 同行者 井原、田中夫妻、宮本各氏


栂池自然公園・雨飾山写真集
栂池自然公園 アザミ トリカブト 楠川の沢
ワタスゲ湿原を望む 栂の大木 楠川でのコーヒータイム
チョウジギク 山田旅館の看板 雨飾山登山案内
何て言う花 荒菅沢手前から布団菱
オヤマリンドウ 北峰石仏・祠 南峰から北峰を
梶山薬師の神木 都忘れの湯内部 雨飾山梶山新湯登山案内
ツバメオモトの青い実



    


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