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後鳥羽上皇在所跡・火葬塚・村上家・隠岐神社 後鳥羽上皇は承久3年(1221年)時の執権北条義時追討の声を上げて戦った乱で敗れ、隠岐に流され19年間隠遁生活を送り60歳で生涯閉じた。望郷の気持ちは亡くなるまで続いたといい、在所跡はお寺(源福寺)の敷地で余りの狭さに歌を詠まれたという。火葬された所は火葬塚として宮内庁が管理している。明治6年明治天皇の命により大阪水無瀬神宮に合祀された。火葬塚に入るところに「綱掛の松」がある。当時は海がすぐそばまで迫っていた。村上家は後鳥羽上皇の身辺警護と監視をしていた隠岐有数の旧家である。後鳥羽上皇は死に際し、領地の相続のことを「後鳥羽天皇御手印置文」に残されている。今も昔も相続は悩みの種だ。隠岐神社は昭和15年、島根県が紀元二千六百年記念行事として創建した。 |
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後鳥羽上皇在所跡説明 |
綱懸けの松 |
火葬塚 |
御在所跡(源福寺) |
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この敷地内に歴代天皇の皇太子時代の御手植えの松がある。しかし現皇太子のはないという。いろいろ諸説はあるようだが、御手植え松が枯れたりしているのを見て考慮されたのかも。 |
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隠岐神社 |
珍しい狛犬 子供がいる |
後鳥羽上皇遺言 |
綱懸けの松 現物 |
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