石見銀山・美保神社・由志園・境港・足立美術館・三徳山投入堂の旅


期間:2019年5月20日(月)~23日(木)



報告:渡辺

今西栄太郎は、東京発下り急行「出雲」に乗った。二十二時三十分発である。・・・彼は横に誰も居ないので、座席に横たわって腕を組んだ。肘掛をしばらく枕にしていたが、後頭部が痛くなった。体の向きを変えたが窮屈である。国鉄の二等車は、客を楽に眠らせないような仕掛けになっている。この文章は、松本清張著「砂の器」の一部である。今回の旅は、「出雲」で行くので、砂の器を思い出した。東京発二十二時丁度、サンライズ「瀬戸・出雲」寝台特急である。警視庁のベテラン刑事、今西栄太郎の時代は、いわゆる急行の二等車であった。今西は松江までであったが、到着は翌日の夕方五時過ぎである。「砂の器」での描写は、妻の芳子はホームを歩きながらきいた。「向こうには何時ごろ着きますの?」「明日の夜、八時ごろだろうな」「まあ、二十時間以上ね、ずいぶん遠いのね」「ああ、遠い、遠い」と、距離感を描いている。
サンライズは特別急行、寝台も個室で、今西栄太郎が横たわって肘掛を枕にするような窮屈さはなく、シームレスレールの軽やかな車輪の音が子守歌代わりで、心地よい眠りに堕ちた。松江の先の終点出雲市駅に着いたのは、翌日の午前九時五十八分であった。約十二時間の道中で、松本清張の時間軸とは隔世の感である。

〔今回の行程〕
1日目(20日): 東京駅22:00発 寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」
2日目(21日): 出雲市駅9:56着 石見銀山遺跡 本谷地区―仙ノ山住居群―佐毘売山神社―龍源寺間歩入坑(大久保間歩は入坑できないが遺跡など見学約4時間の山中見学)-玉造温泉(昭和天皇が宿泊した長楽園)
3日目(22日): 島根半島美保神社―由志園(ボタン、朝鮮人参で有名)-境港(水木しげるロード外)-足立美術館―皆生温泉(かけい彩朝楽)
4日目(23日): 三徳山投入堂登山参拝―三朝温泉(汗流し)-倉吉白壁群(車窓から)-米子駅 米子15:27発(特急やくも22号)-岡山駅新幹線乗り換え17:53発(新幹線のぞみ48号)-東京駅着21:13―東京駅発21:53(ときわ87号)-大甕駅23:30着

サンライズ「瀬戸・出雲」には、二段ベットの普通寝台と個室の寝台とがあり、私は個室を利用することにした。寝台列車に乗るのは、昭和六十年十月、出張で青森から水戸まで乗車した以来である。また、瀬戸には学生時代(昭和三十八年か九年)に乗車したことがあった。個室は寝間着とスリッパがある。幅は寝返りが十分にできるスペースで、長さは二メートル近い。ただ、二階式で二階の底部が天井部分を押し下げているので、やや圧迫感はある。シャワーはついているが、6分間で有料である。夜間雨が窓を打つほどの強さで、西に行くほど雨脚は弱くなり、夜が明けて姫路で目が覚めた時には雨の気配はなかった。岡山から伯備線に入る。備中高梁あたりの河川は氾濫の爪痕が残っていた。昨年の倉敷真備の大洪水の爪痕だろうか。荒島を過ぎると中海が見え、石州瓦の赤茶っぽい山陰地方特有の家並が目に入ってくる。米子、松江を過ぎ、終点の出雲市駅に定刻に着く。出雲駅の駅舎は、大社造りで出雲大社にあやかっているが、同じような駅舎をどこかで見ているのだが、どうも思い出せない。
サンライズ出雲 乱雑だが個室 ラウンジで寛ぐ 出雲市駅
チケット

一日目 [石見銀山] 世界文化遺産
石見銀山は、細長い島根県のほぼ中央に位置する大田市(おおだし)にある。「銀鉱山跡と鉱山町」、「港と港町」、「街道」の3つに分類されている。今回は「銀鉱山跡と鉱山町」を中心に、本谷地区を探訪した。石見銀山は博多の豪商「神谷寿貞」が洋上から、仙ノ山の頂上付近に光るものを見つけ、発掘を始めたのが初と言われている(ガイドの説明)。銀鉱脈が路頭に出ていたのが光ったと言われる。江戸時代は幕府直轄地として、広大な山域を柵で囲い厳重な管理が行われていた。鉱脈は東西に走っており、南北から掘り進めると、必ず鉱脈に突き当たったという。世界遺産登録時の間(ま)歩(ぶ)(坑道)は600だったそうだが、その後の調査で現在は1000を数えるという。本谷口から入り、金生坑(江戸時代に掘られた坑道。)大久保間歩(徳川幕府初代石見銀山奉行大久保長安の名が付く石見銀山最大級の坑道。大量の銀を産出した。金土日祝のみ公開)釜屋間歩(山師の安原伝兵衛が発見したといわれる坑道。竹藪の下にあって発掘調査で見つかる。階段やテラスなどの岩盤加工跡が広がる)露頭堀跡(地表に露出した銀を採掘した跡)を経て、仙ノ山山頂付近の平坦部に広がる石銀集落跡(銀の精錬に使われた鉄鍋鉱山道具、陶磁器などが見つかる)石銀集落跡を下ると、鉱山の神様を祀る佐毘売(さひめ)山神社(現在改修中で拝観不可)に出会い、鉱山頭目屋敷を左に上ると龍源寺間歩になる。有料一般公開されている。壁面のノミ跡は江戸期のものと言われ、きれいに残っている。本谷口のほかに清水谷口がある。仙ノ山全体に坑道や精錬場跡、住居跡などがあり、竹藪があったため灌木のように根が深く入り込まなかったため、坑道の崩落が免れたと言われている。現在も調査発掘が行われて新たな発見が続いているという。戦国時代から大正まで400年余も続いた鉱山で、最盛期には20万人もの関係者が住んでいたと言われる。日本の銀産出は、最盛期には世界の銀の三分の一を産出したといい、その大部分を石見銀山が占めていた。また鉱石1キロあたりの含有量は1グラムといわれ、世界一ともいわれる。平成19年、世界遺産に登録された時の観光客入込は80万人あったが、現在は30万そこそことのことと、ガイドさんの表情が少しさびしかった。思うに、石見銀山は文化遺産で広大な敷地と山地が舞台である。一般公開されている龍源寺間歩を観ただけでは、石見銀山の全体像を理解することができず、観光客の期待を裏切ってしまうのではないか。大森地区の街並みを車で眺める。急ぎ足の四時間で、急こう配の上り下りがある。登山靴に登山の服装が必要で、こんな点も入込客が低迷している原因のひとつかも知れない。
石見銀山ジオラマ 本谷地区 金生坑から露頭掘跡 ガイドの説明鉱床 大久保間歩
金生坑道? 発掘された岩盤加工跡 石銀集落跡説明版 石銀集落跡 組頭住宅
牛馬綱つなぎ石 世界遺産ならでは 龍源寺間歩 江戸時代のノミ跡 佐毘売山神社 住居跡群

「玉造温泉―湯之介の宿長楽園」
山陰随一の美肌の湯で有名な玉造温泉に泊まる。宿は江戸時代に温泉管理を任された「湯之介」ゆかりの長楽園である。一万坪の庭園と百二十坪の大露天風呂が迎えてくれた。文人墨客に愛された老舗旅館で、棟方志功作「玉名泉之図」がロビーに展示されている。昭和三十年代からは、皇室御用達の宿として昭和天皇はじめ各皇族方が宿泊されている。昭和天皇御在所(宿泊された建屋)は公開されていて、撮影も椅子に座ることも可能である。夕食は、会席料理で山陰地方の食材をたくさん使っている。ちなみに宍道湖七珍とは、①スズキ②シラウオ③コイ④ウナギ⑤モロゲエビ(手長エビ)⑥アマサギ(ワカサギ)⑦シジミのことをいう。私たちを接客した中居さんが「なまりからすると東北の方とお見受けしましたが、どちらからですか」と尋ねてきた。我々はそんなになまっているとも思ってなかったが、多くのお客をあつかっている中居さんならではと感心した。松本清張の「砂の器」では、展開の仕掛けに「方言」を使っている。犯人と被害者が場末のバーで会話した時に、同席者に聞かれていた「ズーズー弁」が東北弁でなく、出雲の亀嵩地方で使われている「ズーズー弁」と分かり、今西栄太郎が出雲の亀嵩に向かった場面が冒頭の書き出しである。亀嵩は雲州算盤(ソロバン)の産地でも名が知れている。
玉造温泉長楽園 豪華夕食 日本庭園で 昭和天皇御在所
日本庭園 長楽園正面 玉造温泉シンボル 玉造温泉市中

二日目[島根半島・美保神社―由志園―境港水木しげるロードー足立美術館―皆生温泉]
玉造温泉から島根半島の突端にある美保神社に向かう。美保関港の後背に荘厳なお社を構えている。お社は一般的にヒノキ材で造られるが、ここには松の巨木が多くあったことから全部松材で造られた珍しいお社である。ご祭神は「三(み)穂津(ほつ)姫(ひめ)命(のみこと)」(大国主神のお后)と「事代(ことしろ)主(ぬし)神(のかみ)」(大国主神の息子で恵比寿様)の二神で、本殿の造りは比翼大社造り、向かって右が「三(み)穂津(ほつ)命(のみこと)」、左が「事代主神」である。大社造りの二殿の間を「装束の間」で繫いだ特殊な造りである。拝殿は昭和三年の造営で、船庫を模した独特の造りで壁がなく、梁がむき出しの上、天井がないのが特徴で、音響効果が優れている(しおりの説明)事代主神は、国ゆずりの神話の主人公であり、教科書などで習得していたが、現地を踏んでお社を参拝出来て満足である。美保関港は江戸時代、北前船の西回り航路の風待ち港として栄え、宿屋を兼ねた廻船問屋が軒を並べた。その往時の姿を残すのが「青石畳通り」である。また、美保関を往来する船の目印としての役割を担っていた「関の五本松」は、ここを代表する民謡(関の五本松節)として唄われている。島根半島の最突端には美保関灯台があり、半島をぐるっと回れば、美保の北浦と呼ばれる美しい海岸線が延びている。
 美保関と対岸の境港の間に中海の水道が横たわり、その上を高いループ式の橋が架かっている。境港の海鮮市場で海の幸いっぱいの海鮮丼で腹を満たし、日本一急こう配の「江島大橋」を渡る。壁のような急こう配の坂道で、頂点から下る様はまるでジェトコースターに乗っているようだ。隣の大根島に出雲の國の箱庭といわれる「由志園」がある。奥出雲の大渓谷や斐伊川、宍道湖、中海、日本海の美しい水景までも感じることのできる池泉回遊式日本庭園(ガイド文引用)である。春の見所は、牡丹の季節に池泉に浮かぶ三万輪の牡丹が圧巻である。大根島のいわれは、雲州人参(高麗人参)の根を大根の根と間違われたことである。
美保神社拝殿 拝殿内部 縁起説明 本殿一部 本殿構造部
本殿比翼大社造り 青石畳通り入口 老舗旅館 白イカすだれ?
関の五本松説明 廻船御用水 青石畳通り家並 美保神社鳥居
大根島由志園
牡丹 境港海鮮カニ丼 水木しげるロード
水木しげる記念館 のんのんばあ~ 水木しげるロード商店街

足立美術館 周りに何もない田んぼの真ん中に斬新なデザインの建物がひと際目を引く。
 昭和45年秋の開館。五万坪の日本庭園、枯山水庭、白砂清松庭、苔庭、池庭・・・と近代日本画壇の巨匠の作品約1200点を所蔵している。横山大観のコレクションは120点を数え、常時20点前後を展示している。当館創設者の足立全康氏は、「庭園もまた一幅の絵画である」といい、実際、その通りで足立美術館の魅力である。陶芸館は、当地出身の河井寛次郎と北大路魯山人の常設室がある。今宵の宿は皆生温泉「かいけ彩朝楽」で、日本海に面し、海の中から温泉が湧く珍しい温泉である。
足立美術館 創立者足立全康氏 見事な日本庭園 まさに一幅の絵画
仏間と額縁庭園
車中からの伯耆大山

三日目「三徳山三佛寺(みとくさんみぶつてら)投入堂」日本遺産認定第1号
鳥取県のほぼ中央、中国山脈の背骨部の北側に位置し、周囲は高い山々に囲まれ、標高899.9mの三徳山中腹にある。天台宗修験道三徳山法流の寺で、調査の結果、平安後期の建立と判明した。役(えんの)行者(ぎょうじゃ)の創建と伝えられている。麓に皆成院、正善院、輪光院を階段状に置き、やや小高い開けたところに本殿である三佛寺(みぶつてら)がある。御幣も見られるところから神仏混合の寺である。本殿裏の木戸をくぐると宿入橋になり、森厳な修験の場となる。六根清浄のタスキをかけ、足元を本殿の係りの人に確認された(安全確保のため厳しいチェックがある)後、宿入橋に入る。カッコウやツツドリの鳴き声が静謐な山内(さんない)に鳴き渡る。断崖絶壁が連なり、野際稲荷を過ぎると、大腿(おおもも)を目いっぱい引き上げなければならい木の根踏みの「カズラ坂」が現われ、次いで急峻な「クサリ坂」が続く。すると、重なり合うような「文殊堂」と「地蔵堂」に出会う。文殊堂は山門のところから遠景が見られる。高度を上げると、鐘楼堂が出てきて、自由に参拝安全の鐘撞きができる。馬の背、牛の背と続き、納経堂、観音堂、元結掛堂、不動堂が短い間隔で現われ、不動堂をひょいと回ると国宝である「投入堂」が断崖絶壁の窪みにスッポリ納まった形で現れる。麓から50分の難航苦行の道のりである。役行者が法力をもって投入れたと伝えられているが、今もって建立方法は解明できていないと言うから、昔の人は「夢」のある名を付けたものだ。修験の場としては十分すぎる険しさである。山門の開扉は午前八時、トイレも同じである。麓の皆成院と正善院、輪光院の参拝は400円で、さらに投入堂参拝は400円かかる。往復2時間の三徳山参拝登山であった。登山の汗流しに10キロばかり離れた、三度(みたび)朝を迎えると元気になるという「三朝温泉」に行く。世界屈指のラジウム温泉で、「飲んでよし、吸ってよし、浸かってよし」の名湯である。帰路の途中、倉吉白壁群を車窓から眺め、米子に向かう。倉吉には二十世紀梨記念館がある。
境内案内図 山内入口 投入堂案内図 石仏群 すり減った石段
三佛寺 三佛寺本堂 ご神木 木戸と宿入橋 最初の急坂
木の根越え やっとこさ クサリ坂 文殊堂下 地蔵堂クサリ坂
地蔵堂 袖摺岩 牛の背・馬の背 不動堂 国宝 投入堂
投入堂 三朝温泉 米子での昼食 米子駅前銀河鉄道? 米ッ子合掌像

米子発特急やくも22号 15:27-岡山 岡山発新幹線のぞみ48号 17:53-東京駅
21:13着―常磐線東京発ときわ87号 21:53-大甕駅着23:30

費 用 約70000円(JR,宿泊費、レンタカー、入場料、石見銀山ガイド料、
            皆生温泉宿泊費、ガソリン代など含む)
同行者 村越春夫・智子 竹村真尚 各氏
資 料 観光案内、しおり、ガイドブックなど



    


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