神津島・天上山(572m)登山
期間:2019年6月28日(金)~30日(日) |
2年前の5月、式根島と神津島の二島ツアーに参加し、天上山を登ったが、雨風強く雲中霧中の状態で「東京砂漠」を見られなかった悔しい思いがあり、そのリベンジで再挑戦した。梅雨の真っただ中ではあるが、平年も梅雨時も降水量はそんなに変わらないこともあって、6月28日の竹芝23:00発、神津島8:55着の船便で出発した。夜11時過ぎであるが、不夜城のようなリバーサイド高層マンション群の夜景に見送られての船旅である。
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竹芝桟橋乗り込み風景 |
深夜の高層マンション |
早朝の大島岡田港 |
外国人の一団や学生の一団、自転車を抱えた一団、磯釣りの一団など、いろいろな格好をした乗船客でほぼ満席となる。大島の岡田港で外国人、学生、サイクリング、釣り人達は下船した。台風3号が前夜通過した後だからうねりがあって、揺れたが、船酔いするほどではなかった。神津島多幸港に定時よりやや遅れて9時過ぎに着く。今宵の民宿「中村屋」の旦那が迎えに来ていた。黒島登山口に着いたのが9:40過ぎである。黒島登山口を9:50に出発する。雨は降らないが、湿度が高くメガネが使えない。10合目まではウラジロの密生する急傾斜の直登であるが、登山道は整備され、道中標識もしっかり確保されている。約1時間で10合目に着く。道中、オオシマツツジやヒメトケラン(カキランかも)、ハチジョウショウマ、テリハノノバラ、ネジバナ、シマキンレイカ、ノアザミなどの2000m級に咲く、高山植物が出迎えてくれた。
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神津島多幸湾入港直前 |
下船中 |
天上山が霞む |
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黒島登山口 |
てるてる坊主がいる |
テリハノノバラ |
ハチジョウショウマ |
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ヒメトケラン |
サクユリかオニユリ |
案内板 |
天上山山頂案内図 |
神津島は花の百名山でもある。まず、オロシャの石塁に向かうが強風に見舞われ早々に退散する。船の中で一緒になった若者に東京砂漠を知っているかと尋ねたら、「前川清の東京砂漠」と答えてきた。東京に砂漠があるとは意外と知られていない。西暦838年の大噴火で神津島の山腹が吹っ飛び、10合目から上は平らな地形で、低木の常緑樹に覆われ、ところどころに砂地(砂漠)が広がり、火口に水が溜まった池が点在している。千代池、表砂漠(白く輝く砂地)、裏砂漠(やや赤茶けた砂地)、三宅島や御蔵島が望める裏砂漠展望地、ハートの形が見られる不動池、天と地を分ける景勝地の天空の丘、最高点の天上山頂式根島、新島、大島などの伊豆七島が、天気がよければ富士山も展望できる新東京百景展望地などの見所があり、前川清の歌う「空が哭いている 煤け汚されて ひとはやさしさをどこに棄てきたの・・・つらくはないは この東京砂漠 あなたがいれば あゝうつむかないで 歩いて行ける この東京砂漠」という刹那的な場所ではない。霧と強風に視界が遮られ初期の目標は果たせなかった。天上山トレッキングコースはいろいろあり、初心者コース、展望満喫コース山頂完全周遊コースがある。最大5時間もみれば全部回れる。強風で回らなかった裏砂漠を除き、その他全部を回って、山頂にある窪地、神代の時代にこの地で伊豆諸島の神々が集まって、水を分ける相談をした不入ケ沢(はいらないがさわ)から白島登山口へ下山した。6合目には近代的な白島トイレがある。ここから先は、リョウブの林のトンネルとなる。樹林帯を抜け歩道に出ると、あとは下り一方、30分ほどで今晩世話になる民宿中村屋に着く。15時前であった。我々だけの貸し切り状態である。夕飯には20㎝もある大きなキンメの煮つけ、イカとカジキマグロ、初めて食する赤サバの刺身、地魚の天ぷら、明日葉とゲソの和え物、厚揚げとタケノコの煮物、青のりの入った味噌汁、もう食べきれないほどの食事である。メインは地酒、神津島麦焼酎「盛若」をいただく。
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10合目標識 |
文化財オロシャの石塁 |
8合目からの集落眺望 |
ノアザミとショーマ |
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表砂漠の一部 |
本当ならこんな風景 |
不動池ハートに見える |
バイオトイレ |
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天上山山頂下 |
天上山ピーク572m |
三角点 |
天空の丘 晴れたらなぁ |
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シマキンレイカ |
さて何でしょう |
ババア池のノバラ群生 |
不入が沢看板 |
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8合目下の林のトンネル |
6合目白島トイレ |
下山途中 |
白島登山口 |
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市街地を望む |
民宿中村屋 |
夕食 豪華ですなあ~ |
キンメダイの煮つけ |
6月30日、雨は小雨だが風が強い。波高3mとのことで早々に高速船ジエットの欠航が決まった。本来はこれで帰る予定であったが、急遽、9時40分発の大型客船に乗り換えることになった。予定通りなら赤崎の海岸や西海岸ハイキングコースを愉しむことになっていたが、天気には勝てない。民宿のおやじさんに多幸湾まで送ってもらうことになり、神津島空港や絶景の三浦湾展望地を案内された。多幸湾には東京名水57湧水のひとつ多幸湧水がある。甘くて柔らかい水である。神津島は、①天上山トレッキングコース②西海岸ハイキングコース③秩父山ハイキングコース④神津島灯台ハイキングコース⑤森田遊歩道コース⑥黒島遊歩道コース⑦松山遊歩道コースなどがあり、それぞれに景勝地が望める展望地が楽しめる。その外、海水浴場、釣り、ダイビング、星空嘆賞など盛りだくさんの島である。波が高く白ハチマキをしているような波頭である。定刻をやや遅れて多幸港を出港する。外洋に出ると「オットトー」くらいの足元の揺れはあるが、2等船室で横になっていると、そんなに荒れているとは感じない。大島の岡田港では、若い女性を島の幼稚園児や小学生、保護者が見送っていた。別れのテープを握った彼女は涙顔でくしゃみである。船が灯台を過ぎるまで子供たちは大声をあげて女性を見送っていて、ちょっとセンチメンタルな気持ちになった。別れ、船、紙テープは船旅につきものである。その情景は情緒的で演歌の世界である。別れの紙テープといえば、岡晴夫の歌う「憧れのハワイ航路」が代表であろう。≪別れテープを笑顔で切れば・・・≫と歌われているが、作詞した石本美由紀は東海汽船の伊豆七島航路をイメージして作詞したと言われている。それでは何故紙テープ、100年前のパナマ運河開通記念に、サンフランシスコで万博が開催され、日本の企業が紙テープを出展したが、全く売れず在庫の山となった。そこで「テープで別れの握手をしませんか」と売り込んだことが始まりと言われる。さるびあ丸は薄暮の竹芝桟橋に17時40分ごろ無事接岸した。船泊り、民宿1泊の3日間の神津島天上山の島旅であった。霧と湿気に遮られて、天上山の絶景を堪能することができなかったが、またの機会に「おいで」と神様が時間をくれたのかもしれない。3日間の非日常的な生活から喧騒な世界に浜松町の改札口から人ごみに紛れて戻って行く。
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三浦湾(手前)多幸湾 |
昔の案内板 |
説明の通り |
多幸名水湧水 うまい |
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多幸湾さるびあ丸 |
多幸漁港 |
船中の2等船室 |
波頭高し |
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多幸港のモニュメント |
船上からの天上山 |
黒曜石の帯かな |
こんな光景も見られる |
(この4枚は平成29年5月に行った時の写真)
6.28(船中泊り)-29日天上山トレッキング 民宿「中村屋」泊り-30日さるびあ丸
船賃 大型客船 5485円×2
民宿 9700円(ビール、焼酎込み)
同伴者 田中正博・厚子 宮本光長 井原隆(幹事)の各氏
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