<梁山泊倶楽部>の謂われについて

 
梁山泊倶楽部

会長 宮本光長


四十路に山登りを始めて20年、赤いチャンチャンコを迎えるまでの幾星霜、よき経験とよき想い出は、我が人生に箔をつけてきた。

平成5年夏、自身の“一大エポック”ともいえる「飯豊連峰単独完全縦走」を目論んだ。新潟県関川村(米坂線/越後下関駅)を起点に、大石ダムから西俣川を遡行して大熊小屋経由で飯豊連峰最北端の「えぶり差岳」「大石山」「頼母木山」「門内岳」「北股岳」「烏帽子岳」「御西岳」「大日岳」「飯豊山」「三国岳」そして川入へ下山の予定を組んだ。

入山にあたり、昭和40年代前半の『山と渓谷』『岳人』掲載記事を参考に飯豊連峰について調査した。現在では皆無に近いが、山麓の村で“一般の民家に宿泊させてもらうこと”(民宿とは異なり料金設定がなく謝礼程度のお礼)が、ここ関川村では残っていた。もっとも、藤島玄氏など日本山岳史の草分けたる方々との縁がある旧家(高橋家)である・・・・。
2007年版『山の便利帳』(山と渓谷2007年1月号付録)にも大石の民家(休業中)と掲載されている。

私も、この飯豊連峰縦走の際に高橋さん宅を訪れた。(奥様に林道ゲートの鍵を借りて情報入手した程度)このときに、“梁山泊”という山小屋があり、それも地元の方々が(峡彩山岳会が中心となって)賛同して苦心惨憺の末に建設されたものと知らされた。そして、仲間の集いに使用するのはもちろん、一般の登山者にも使用させていると伺った。

平成2年「関銀山の会」として発足した当山岳会は、平成12年に一般社会人に門戸を広げた山岳会に変身すべく「梁山泊倶楽部」と改称した。

名称の謂われとは前述のとおりであるが、本来の「梁山泊」(山賊の集まるところ)のように、山や自然を愛する方々が入会して“持てる力を発揮”し、よい意味で“山賊のように山々を跋扈”する。山小屋では“囲炉裏を囲んで豪快に酒宴を催し”、“大いに語り合う”ことで遅まきながら東北の岳人(梁山泊の小屋で集う山男、山女)に一歩でも近づきたいとの願いが込められている。

残念ながら、平成5年の飯豊連峰完全縦走は天候悪化で途中下山した。毎年のように「飯豊」「朝日」と足繁く通っているが、我が第二の故郷として、これからも赤いチャンチャンコを着てさらに訪れることだろう。

こんな思いを持つ同士よ、来たれ「梁山泊倶楽部」へ!



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